第11課 捕らえられ、裁かれる 武田 将弥
1.安息日午後
マルコによる福音書の14章から16章は、イエスさまの「受難物語」になっています。受難というのは、十字架の時に苦しみ、死んで、復活されたことです。聖書を調べると、イエスさまは金曜日の夕方に十字架で死に、日曜日に復活されました。安息日である土曜日は、お墓の中で静かに眠っておられたのです。
今週は14章の物語を中心に勉強をしていきます。
2.日曜日:忘れがたいこと
マルコ14:1を読むと、過越の祭りが始まる2日前だと書いてあります。イエスさまを殺そうと計画する人たちと、イエスさまに高価な香油を塗った女性の話が紹介されています。
マルコによる福音書には香油を塗った女性が誰なのかはハッキリと書かれていませんが、この女性はイエスさまに自分の出来る限りの感謝をしました。この行為はイエスさまをとても喜ばせます。しかし、これからイエスさまを裏切るイスカリオテのユダは、イエスさまの心をひどく悲しませました。
マルコによる福音書に女性の名前は書かれていませんが、ユダの名前は書かれています。
4つある全ての福音書には、女性の素晴らしい行為が記されていますが、ユダについては恐ろしい裏切りが書き残されています。
不思議なことに聖書には、この女性とユダがしたことが、正反対に記されています。
3.月曜日:最後の晩餐
今から2000年前、十字架にかかる前の晩のことです。イエスさまは弟子たちと過ぎ越しの食事をされました。この時からイエスさまは記念として「洗足聖餐式」を続けるようにと言われました。
今の私たちは洗足式で足を洗いあった後に、聖餐式でパンとぶどうジュースをいただきますが、それはイエスさまの体と、命の血をあらわしています。イエスさまはご自分を受け入れる人を、必ず救うという約束をしてくださいました。この洗足聖餐式は2000年前からずっと続いている儀式であり、この儀式が続いているということは、イエスさまは昔、本当にいたことを意味しています。聖書の物語は作り話ではないという証拠にもなっているのです。
4.火曜日:ゲツセマネ
イエスさまは真夜中のオリーブ山で、天上の父にむかって必死に祈りました。苦しみが取り除かれるように祈りますが、神様の御心とご計画に従ったのです。十字架の経験によって救いがもたらされることになっているので、イエスさまから十字架の苦しみが取り除かれることはありませんでした。
苦しい時に仲間がいると心強いものですが、残念ながらイエスさまが自分のために祈ってほしい時に、弟子たちは眠っていました。結局は祈ってもらえず、イエスさまはたった一人で苦しみに立ち向かわなくてはなりませんでした。
5.水曜日:すべてを捨ててイエスから逃げる
イスカリオテのユダは裏切り者として有名なので、救いようのない悪魔的な性格をしている印象があるかもしれません。しかしホワイト夫人によると、ユダは極悪人ではなかったようです。私たちと同じように神を信じる心もありましたが、この世を愛する気持ちの方が強かったのです。ユダがイエスさまを裏切ったのは、欲望が強いところをサタンに狙われて、利用されてしまったからでした。だから私たちはユダを責め裁くことはせず、むしろ自分もユダのようにならないよう注意しましょう。
マルコ14:51~52には、イエスさまについて行こうとする若者が登場します。この若者が誰なのかは分かりません。イエスさまは「すべてを捨てて、わたしに従って来なさい」と言われましたが、この若者は自分が捕まってしまいそうになると、すべてを捨ててイエスさまから逃げてしまいました。人間の心は弱いのです。
6.木曜日:お前は何者か
イエスさまが裁判に連れて行かれると、大祭司は「本当のことを言え! お前は何者か?」と質問し、イエスさまは正直に「わたしはメシア(救い主)です」と答えました。
ところが弟子のペテロは別な場所で「あなたの顔を見たことがあります。たしかイエスと一緒にいたでしょう?」と言われますが、ペテロは心のなかで(ヤバい! バレたらどうしよう…)と慌てて「イエスだって? 何のことだか分からないよ」と、イエスさまと関係がないフリをして嘘をつきました。
「お前は何者か?」という、同じような質問をされたのに、正直に答えるイエスさまと、嘘をつくペテロのお話が聖書には残っています。
7.金曜日:さらなる研究
ペテロは鶏がなく前に「イエスなんて知らない! 自分とは関係ない!」と3度も裏切ってしまった時、イエスさまと目が合いました。目を見れば相手の気持が分かると思いますが、イエスさまはペテロを怒って憎んでいるのではなく、むしろ深い憐れみと悲しみの気持ちで赦しておられました。
神様は私たち人間の心が、とても弱いことを知っておられます。それにもかかわらず、神様は愛のお方なので、私たちを見捨てることはないのです。神様に感謝しましょう。
★振り返りの質問★
「洗足聖餐式」はとても大切な儀式ですが、もっと参加者を増やすためにはどうしたら良いでしょうか。みんなで考えてみましょう。