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第4課 あなたの神、主を愛しなさい 鈴木優人
.安息日午後
申命記6章4節から始まる教えはヘブライ語で「シェマ」と呼ばれ、ユダヤ教において最も重要とされている祈りの言葉です。「シェマ」は「聞くこと」「従うこと」を意味します。この祈りは「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である」(申命記6:4)という文から始まります。ユダヤ人がこの祈りをするときは、神さま以外のすべてのことを考えないようにして、「唯一である我らの神」へ気持ちを向けるようにします。現代の私たちにとっても、この表現を意識することが大切です。
2.日曜日:「神を愛すること」
申命記では、約束の地に入っていったときに神さまとの約束においてイスラエルがしなければならないことが教えられています。神さまは以前、アブラハムと約束を交わしましたが、申命記で恵みによってもう一度、イスラエルの民と約束を結ばれたのです。(申命記6:1参照)
律法はさまざまな警告や規則がありますが、その中心では神を愛するように教えています。しかも、ただ愛するのではなく、「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして」主を愛するように命じられています。これは、私たちが自分の思いと、体と、持っているすべての物を使って愛するということです。ほかの誰かに対するどんな愛よりも神様に向ける愛が必要です。なぜなら、神様は私たちに命を与えてくだっているからです。ですから、神様をまず愛することによって、私たちの愛があらゆる方向へ向けることができるようになるのです。そしてそれは私たちひとりひとりが神さまに忠実であることを求めています。神さまが私たちに何をしてくださったのかを思い出しましょう。
3.月曜日:「神を畏れること」
日曜日で学んだように、モーセは民に自分の持っているすべてを使って神さまを愛しなさいと命令しました。しかし、その前にモーセは申命記6:2で、「あなたの神、主を畏れ」るように命じています。さらに申命記10:12では神を畏れることと愛することを同時に命じています。神を畏れるとは、神さまがどんなお方であるかを知り、神様の力と正しさを敬う気持ちを持つということです。私たちは自分の罪深さと弱さを知るときに、神さまに完全により頼みます。そうすると、神様を畏れ敬う気持ちが自然と湧き上がるのです。なぜなら、私たちは罪人であるにもかかわらず、神さまの恵みによって生かされているからです。終わりの時代に生きる私たちもまた、三天使の使命(黙示録14:6,7)によって神さまを畏れるように命じられています。この時代だからこそ、この命令に目を向けることに意味があります。
4.火曜日:「神がまず愛してくださった」
神さまは私たちが失敗だらけであったとしても、まず私たちを愛してくださいました。天地創造の前から救いの計画が立てられていたというほどに、神さまの私たちに対する愛はたくさん注がれていました。その証拠は、神さまの御子イエス・キリストが十字架によってわたしたちのための身代わりとされたことによって明らかです。神さまはご自分の身をもって私たちをまず愛してくださったのでした。この神さまの自己犠牲の愛に感謝を忘れないようにしたいと思います。
5.水曜日:「わたしを愛するなら、わたしの戒めを守りなさい」
イスラエルは民族全体として神さまを愛するように命じられていましたが、それはひとりひとりが神さまを愛する思いを持つことによって実現するのでした。神さまを愛するということは神さまに服従することによって示されました。
ヨハネは「神を愛するとは、神の掟を守ることです」(Iヨハネ5:3)と教えています。愛と服従は切り離すことができません。愛は行為で表されるからです。神の掟を守るとは、十戒を守ることを意味します。その中には当然、安息日の戒めである第4条も含まれています。これを律法主義と誤解する人もいますが、私たちが本当に神さまを愛しているなら、イエス様がわたしたちにしてくださったことを思うと、神さまに従いたいという思いになるのは当然です。
6.木曜日:「第一の戒め」 ・金曜日:さらなる研究
旧約聖書と新約聖書は分けることが出来ないセットです。切り離してしまうと、新約聖書の本当の意味がわからなくなってしまうところがたくさんあります。旧約は新約聖書の基礎だからです。イエスさまも繰り返し旧約聖書を引用しています。
律法学者がイエスさまに最も大切な掟はなにかとたずねました(マルコ12:28〜30)。それに対しイエスさまはすぐに申命記6章のシェマを引用し、神さまを唯一の神とし、その神さまを心と魂、力を尽くして愛することが第一であると言われました。
終わりの時代を生きるわたしたちは、最終的にサタンの側か神さまの側のどちらにつくのかを問われます。そのときに、この教えの通りに「第一に」神さまを愛する選択をすることが大切です。もしかしたらその選択をすることで迫害されるかもしれませんが、本当に神さまを愛している人は神さまの恵みを知っているので、死も恐れない愛を持つことが出来ます。
話し合いのための質問
☆なぜ私たちは神さまを愛し、同時に畏れるべきなのでしょう。
☆わたしたちの人生に悲しいことが起こった時でも神さまを愛せますか。そのような状況でも神さまを愛することが大切なのはなぜでしょう。