安息日学校部

20210404安河内アキラ解説

2021年第4期「申命記に見る現代の心理」

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第4    あなたの神、主を愛しなさい      10月23日

 

暗唱聖句
「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」
申命記 6:5

                                           

今週の聖句
申命記 6:4、5、申命記 10:12、エフェソ 2:1~10、黙示録 14:6、7、
申命記 4:37、申命記 11:1、マルコ 12:28~30

                                           

今週の研究   ユダヤの宗教における最も重要な祈りの一つが申命記6章にあります。「シェマ」として知られるその祈りは、その祈りの最初のヘブライ語に基づくものです。シェマの語根「シャマ」は、「聞くこと」あるいは「従うこと」という意味を持っており、申命記だけでなく、旧約聖書全体を通して何度も出てくる言葉です。

この行は、モーセが約束の地を前に、イスラエルの子らに語った最初の説教の一部です。しかし、この最初の行に続く力強い真理の表現は、当時そうであったように、現代の私たちにも変わらず非常に重要なものです。

                                           

日曜日:イスラエルの子らに彼らの歴史を思い起こさせた後、モーセは彼らが約束の地に入り、そこで繁栄するためにすべきことを教えます。実に、申命記の大部分はこの教えによって占められているとも言えます。すなわち、主との契約に おいて彼らがなすべきことが教えられています。主は彼らの父祖と結ばれた約束を成就するために、この時、恵みによって彼らと再度契約を結ばれるのでした。

                                           

月曜日:一つの聖句の中で、神を畏れつつ、同時に愛するように命じられています。 神を畏れるということは、神がどんなお方であるか、すなわちその権威と力、正と義のゆえに畏れ敬うことです。それは特に、私たちの罪深さ、弱さ、そして完全に神に依存する存在であることを知るとき、私たちの中に自然に湧き上がる反応です。私たちは堕落した存在であり、神の律法に違反した存在であり、罪の宣告と永遠の死に値する存在であるにもかかわらず、神の恵みによって生かされているからです。

私たちは、「神の怒りを受けるべき者」であったにもかかわらず、キリストは私たちのために死んでくださり、それによって私たちに、キリストの内にある新たな命が与えられたのです。それは、罪と過去の罪の宣告からの解放を含みます。

                                           

水曜日:ヨハネは「神を愛するとは、神の掟を守ることです」(1ヨハ5:3) と言い、イエスが「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」(ヨハ14:15)と言われたのです。これらの聖句はこの基本的な教えを表現しているにすぎません。神への愛は常に神への服従に表れます。過去においても未来もこの原則は不変です。そして神への服従は、神の律法、すなわち第四条の安息日を含む十戒への服従を意味します。十戒の第四条を守ることは、ほかの九つの戒めを守るのと同じように律法主義ではありません。

モーセが繰り返しイスラエルに神を愛し神に従うように命じたのは、エジプトからの救出後でした。彼らの愛と服従は、彼らを救い出された神への応答でした。彼らは主によって贖われたので、主の掟に忠実に従うのです。それは今日も同じです。

                                           

木曜日:この命令にまさる「現代の真理」があるでしょうか。最終時代に、最後の出来事が起き、誰もが皆、どちらの側に付くかを劇的な方法で選ぶとき、神の戒め(黙14:12)が決定的な役割を果たすでしょう。 最終的に私たちが選ぶ側は、それが迫害に直面することであろうと、私たちが真に神を愛しているかどうかにかかっているのです。それは決断の問題です。

私たちは、私たち自身で神を知り、神の慈しみ、愛、そして恵みを体験するときにのみ、心と魂と力を尽くして神を愛することができるようになるのです。 もし必要なら死をもいとわない愛を持つことができるのです。

                                           

今週は申命記6章にある、ユダヤの宗教における最も重要な祈りの一つについて学びます。それが今週の暗唱聖句です。聖書は、神さまからラブレターと言われています。そしてその招きに従うか否かを、すべての人類は問われているのです。かつてある本で読みましたが、この「シェマ」という言葉は、さぁという感じの意味もあり、さぁあなた方も、神さまを愛しましょうと呼び掛けていると書かれていました。さぁあなたも神さまに従って行きましょうと招かれているのです。

そして心を尽くして愛することとは、水曜日の引用文に書かれていますが、神さまの掟を守ることです。守るという行為の目的が天国に入るために守るのだったら、それは戒律であり、自分の行為で救いを得ることになります。神さまを心から愛していれば、素直にご命令に服従することができ、信頼していれば、疑わずに迷わずに忠実に従って行くことができるのです。そのような歩みが、結果として天国へつながって行くのではないでしょうか。

申命記から約1500年後に、イエスキリストが第一の戒めとして語られたのは、心を尽くして神さまを愛するという教えでした。これがすべての掟を守る行為の基礎になっているのです。そして第二の戒めは互いに愛し合うようにと教えています。(マタ22:36~40参照)まわりの人を愛することは神さまに従うこととなのです。神さまに従って行くことは、生きて行く方向性が自分のためではなく、神さまのために変わって行くことです。