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第3課 教師としての律法 眞田 治
1.安息日午後
今週の学びの題は「教師としての律法」です。律法について学びます。
律法を守ることによっては、私たちは救われません。律法を守ることによっては、私たちは永遠の命に入れません。私たちは、主イエスさまを信じることによって救われ、主イエスさまを信じることによって永遠の命に入れます。
律法を守ることによっては、私たちは救われません。しかし律法は、私たちに大切なことを教えてくれます。律法は、主イエスさまのように生きることの大切さを、私たちに教えてくれるのです。
今週の題「教師としての律法」とは、律法は主イエスさまのように生きることの大切さを教えてくれる教師です、という意味です。
2.日曜日:神を愛すること、畏れること
旧約聖書の『申命記』には、モーセの遺言が書いてあります。申命記は1章から34章まであるのですが、申命記の終わりのほう、31章12、13節を読んでみましょう。
「民を、男も女も子供も、町のうちに寄留する者も集めなさい。彼らが聞いて学び、あなたたちの神、主を畏れ、この律法の言葉をすべて忠実に守るためであり、これをまだ知らない彼らの子供たちも聞いて学び、あなたたちがヨルダン川を渡り、入って行って得る土地で、彼らも生きている限り、あなたたちの神、主を畏れるようになるためである。」
申命記31章12、13節には「主を畏れる」と2回、書いてあります。「畏れる」は、「恐れる」とは漢字が違いますね。「恐れる」は、怖いとか怯えるとかいう意味です。しかし「畏れる」は、尊敬して大切にするという意味です。「主を畏れる」とは、主なる神さまを尊敬して大切にすることです。主なる神さまが聖く、やさしく、力強い権威ある御方なので、私たちは主なる神さまを尊敬して大切にします。
ちなみに「愛する」というのは、相手のために自分のものを使うことです。「神を愛する」人々は、神さまのために自分のものを使います。神を愛する人は、神さまのために自分のお金を使って献金します。神を愛する人は、神さまのために自分の時間を使って聖書を読み、教会に行き、伝道します。神を愛する人は、自分の心を使って祈ります。
神を愛し、神を畏れる人は、神さまを尊敬して大切にしているので、自分の大切なお金や時間や心を使って、聖書を読んだり伝道したり献金したり祈ったりします。神を愛し、神を畏れる人は、神さまを大好きになった人です。
3.月曜日:あなたに対する証言
モーセの一番の心配事が、遺言の最後のほうに書いてあります。申命記31章27節を読んでみましょう。
「わたし(モーセ)はあなたがかたくなで背く者であることを知っている。わたし(モーセ)が今日、まだ共に生きているときでさえ、あなたたちは主に背いている。わたし(モーセ)が死んだ後は、なおさらであろう。」
モーセの一番の心配事は、人々が神さまに背いて神さまの言葉を守らなくなることでした。モーセが死んだ後、人々が神さまに背いて神さまの言葉を守らなくなることを、モーセは一番、心配していたのです。
モーセは心配だったので、人々に「証言」を書き遺すことにしました。証言とは、証拠になる言葉という意味です。申命記31章14から27節までの間に、「証言」という言葉が3回も、19節と21節と26節に書いてあります。
神さまは約束を守られる御方であることの証言(証拠になる言葉)を、モーセは遺言に書き遺したのです。神さまの言葉を守る人々に、神さまは豊かに恵みを与えてくださると、神さまは約束してくださいました。約束ですから、神の言葉を守る人々に、神さまは豊かに恵みを与えてくださいます。しかし、人々が神さまに背いて神さまの言葉を守らなくなると、人々は苦しみに遭います。人々は苦しみに遭って、「どうして自分は苦しいのかな」と考えて、神さまに背いて神さまの言葉を守らなかったから自分は苦しくなったのだと気がついて、人々が再び神さまの言葉を守るようになると、また神さまは、人々に豊かに恵みを与えてくださいます。神さまは何回でも何回でも、人々に豊かに恵みを与えてくださいます。神さまは約束どおりに人々を豊かに恵んでくださるという証言を、モーセは書き遺しました。モーセが死んだ後も、人々が、「やっぱり神さまは約束を守られる、やさしく聖い御方なんだな」と気づくためです。神さまは人々に恵みを与え、約束を守られる御方です。神さまは聖く、やさしく、力強い権威ある御方です。権威ある神さまが約束を守ってくださるという証拠になる言葉を、モーセは書き遺したのでした。
4.火曜日:あなたは成功する
モーセが申命記を書いてから死んだ後、モーセの弟子のヨシュアが『ヨシュア記』を書きました。ヨシュア記1章7、8節を読みましょう。
「ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。」ヨシュア記1章7、8節には、「成功する」という言葉が2回、書いてあります。神さまの律法を忠実に守る人は「成功する」のです。
安息日午後にも学んだとおり、律法を守ることによっては私たちは救われません。しかし律法は、私たちに大切なことを教えてくれます。律法は、イエスさまのように生きることの大切さを、私たちに教えてくれるのです。主イエスさまのように生きる人は、律法を忠実に守る人です。イエスさまのように生きる人は、成功するのです。
マタイ福音書6章33節を読みましょう。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」。マタイ福音書6章33節の「これらのもの」というのは、食べ物や着る物のことです。まず神の国と神の義とを求める人、まず神さまのことを一番に考えて生きる人々は、生活に必要な食べ物や着る物が必ず与えられます。大金持ちにはならないかも知れませんが、生活に必要な物が与えられる成功をします。
ヨハネ福音書1章12節を読みましょう。「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」。ヨハネ福音書1章1から18節までの「言」は、主イエスさまのことですから、主イエスさまを受け入れた人、主イエスさまを信じる人々には「神の子」となる資格が与えられます。主イエスさまを信じている人は神さまの子どもなのです。そして、ローマ書8章17節を読みましょう。「もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です」。子どもは相続人でもあります。神さまの子どもは神さまの相続人です。相続とは、もらうことです。親が家を持っていたら、子どもは、家を相続し、もらいます。親がたくさんの本を持っていたら、たくさんの本を子どもが相続し、もらいます。神さまは、聖なる、やさしい、力強い権威ある御方ですね。私たちは主イエスさまを信じて神さまの子どもになったのですから、神さまの聖さや、やさしさ、力強さや権威を相続して、もらいます。神さまと同じものを私たちももらうのです。食べ物よりも着る物よりも、もっと大切なものは、清さややさしさや力強さです。私たちは、神さまの大切なものを相続することに成功する、神さまの子どもです。
お祈りしましょう。「天の神さま。独り子なるイエスさまを私たちの救い主として遣わしてくださったことを、感謝いたします。私たちは主イエスさまを信じる信仰によって、救われ、神さまの子どもとしていただきました。そして、神さまが約束してくださっている成功も、私たちに与えられています。私たちは成功します。いつも主イエスさまが、私たちと一緒にいらしてくださるからです。神さまが与えてくださる成功の素晴らしさを、もっと体験する私たちとなさしめください。主イエス・キリストさまの御名前によって、お祈りいたします。アーメン。」
5.水曜日:律法を守る者たちの苦難
火曜日に、「あなたは成功する」というテーマで学びました。しかし私たちは、いつも「成功する」とは限らないと知っています。神さまの律法を守っている人が成功することもあれば、神さまの律法を守っている人が苦労することもあるのです。聖書の中にも、バプテスマのヨハネとか、ヨブとか、神さまの言葉を忠実に守っていても苦労した人々が登場します。
火曜日に、ローマ書8章17節を読みました。もう一度、読んでみましょう。「もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です」。私たちは主イエスさまを信じた「神の子」ですから、神の相続人で、たくさんの素晴らしいものを神さまから相続して、もらって、成功するんですよね。
しかし、ローマ書8章17節には続きがあります。読みましょう。ローマ書8章17、18節です。
「もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。」
神の子は、たくさんのものを主イエスさまから相続します。主イエスさまの聖さを、私たちは相続します。主イエスさまのやさしさを相続して、私たちもやさしくなれます。そして、主イエスさまが苦しまれたので、私たちも苦しみを相続して、苦労することがあるのです。しかし、「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います」。「将来わたしたちに現されるはずの栄光」というのは、天国に入れてもらえることです。現在の苦しみは、天国に入れてもらえる素晴らしさと比べると、小さな苦労ですよ、という意味です。天国に入ると、天国はとても素晴らしいので、現在の苦しみを忘れてしまうのです。
主イエスさまを信じて「神の子」とされた人々は、苦労をしても、主イエスさまを信じ続けます。将来わたしたちに現される栄光を待ち望んでいるからです。イエスさまを信じて「神の子」とされた人は、苦労しても、神さまの律法を守り続けます。天国の栄光を相続できることが、約束されているからです。神さまは私たちに、「永遠の命」をも相続させてくださいます。永遠の神さまを信じる人は、永遠の命をもらえるのです。
私たちは神さまの律法を守るから救われるのではありません。神の子とされて、天国に入ることが約束されているから、神さまの言葉である律法を守って生きることができるのです。
皆さん、苦しくても主イエスさまを信じ続けることができたという体験は、ありませんか。
苦労しても律法を守ることができた体験は、ありませんか。
主イエスさまを信じ続けた体験や、神さまの律法を守り続けた体験を、安息日学校の時間に教会の人に伝えたり、友達にメールで伝えたりしてください。まだイエスさまを信じていない人に伝えると、素晴らしい伝道になります。
6.木曜日:私たちの模範イエス
新約聖書のフィリピ書2章6から8節までを読んでみましょう。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」。イエス・キリストさまは、とても謙遜でした。へりくだって、謙遜に生きられました。主イエスさまを信じて神の子とされた私たちは、神さまの相続人ですから、へりくだった主イエスさまの謙遜な生き方をも、相続することができます。私たちもイエスさまのようにへりくだって生きることができるのです。
さっきのフィリピ書2章6から8節の前に書いてあります。フィリピ書2章3から5節です。「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです」。
主イエスさまが心の内に住んでくださり、主イエスさまのような謙遜な生き方ができるようになる人は、成功した人です。「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです」(フィリピ書2章13節)。皆さん、主イエスさまのように生きられるよう、祈りましょう。
7.金曜日:さらなる研究
今週の学びの題は、「教師としての律法」でしたね。主イエスさまは律法を2つに要約なさいました。マルコ福音書12章29から31節まで読みましょう。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない」。
主イエスさまは、心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、父なる神さまを愛されました。イエスさまは、隣人を自分のように愛されました。私たちは、イエスさまを畏れ、尊敬しています。イエスさまが素晴らしい御方だからです。私たちは主イエスさまを尊敬しているので、心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、父なる神さまを愛することができるようになり、隣人を自分のように愛することができるようになります。
神さまを愛し、隣人を愛する人は、信仰に成功した人です。火曜日の学びの「あなたは成功する」の最後の祈りを、もう一度お祈りしましょう。「天の神さま。独り子なるイエスさまを私たちの救い主として遣わしてくださったことを、感謝いたします。私たちは主イエスさまを信じる信仰によって、救われ、神さまの子どもとしていただきました。そして、神さまが約束してくださっている成功も、私たちに与えられています。私たちは成功します。いつも主イエスさまが、私たちと一緒にいらしてくださるからです。神さまが与えてくださる成功の素晴らしさを、もっと体験する私たちとなさしめください。主イエス・キリストさまの御名前によって、お祈りいたします。アーメン。」