安息日学校部

第3課 青年用:朴 昌

2020年第4期「教育―天国に備える教育」

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第3課  教師としての律法 朴 昌

 

  • 今週のポイント
    1. 今週はキリスト教の教育のテーマにおける律法の役割について学びます。
    2. 正しい学び(教育)というのは、教える人を尊重することによって始まります。神を正しく学ぶことも律法を尊重することから始まります。なぜでしょうか? 律法は神の御品性の写しであり、私たちをキリストに導く養育係であるからです(ガラテヤ3:24)。そのことによって神を愛し、畏れることができます。
    3. イスラエルの偉大な教師であるモーセがいなくなるため、神は律法をモーセの代わりに教師として立て、イスラエルの民が過ちを繰り返して犯さないように、忘れることがないように、歌として作って彼らに与えられました。それは神の律法を通して彼らを守り、教え、証となるようにするためでした。そして、今は律法の成就であり、御言葉であるキリストを通して私たちを守り、教え、導いておられます。それゆえ、私たちは讃美を通してキリストと共に歩むことができます(コロサイ3:16~17)。
    4. 旧約聖書は律法の書簡、新約聖書は恵みの書簡と考える傾向があります。しかし、旧約聖書と新約聖書、古い契約と新しい契約を区別することは重要ではありません。私たちは聖書に従うクリスチャンとして、神の律法に従うように召されました。昔のイスラエルのように、今の私たちにも、律法の不従順は、不幸と死につながり、信仰に基づいた従順は幸せと救いにつながります。パウロはローマの信徒への手紙の最初と最後を通して、すべての人が「信仰による従順へ導く」ために福音を宣べ伝えました(ローマ1:5;16:26)。それゆえ、律法を守る私たちの姿勢も信仰による従順である必要があります。
    5. 聖書は、律法に従うときに成功することを約束しますが、サタンの支配の下にあるこの世界は、時々説明ができない苦しみや悲しみが訪れる場合があります。私たちはこのようなときに、この世界が善と悪の大争闘が行われる現場であることを認識することが大切です。そして、私たちの究極的な幸せや成功は、この世界でのものではなく、神の御国のものであります。ですから、神は私たちが頭では理解できない、苦しみがあるときに、「神に従う人は信仰によって生きる」ように教えてくださいます(ハバクク2:4;ローマ1:17;ガラテヤ3:11;ヘブライ10:38)。
    6. イエス・キリストは、私たちを罪から救うための贖いとなるだけでなく、律法に従う生涯が何なのかを示す私たちの模範とならました。そのキリストの御姿に従って信仰生活を送りたいと思います。