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第10課 覚えよ、忘れてはならない 伊藤裕史
1.安息日午後
みなさんは大切なことを忘れることはありませんか。鍵をかけたかな、火を消したかな。私もだんだんと外に出たあとで心配になってもどることが多くなってきました。人はいろいろなことを忘れてしまうものです。でも、本当に大切なことは忘れてはいけない。聖書には「覚える」と「忘れる」という言葉が出てきます。何を覚えなくてはいけないのでしょうか。そして何を忘れてはいけないのでしょうか。今週は、神様とのことで覚えておかなくてはいけないこと、忘れてはいけないことについて学びます。
2.日曜日:虹を心に留めること
聖書で「覚える」はいろいろな表現になっています。新共同訳聖書では「心に留める」、口語訳では「思いおこす」などの言葉が使われています。この「覚える」が最初に出てきたのは創世記9章です。ノアの箱舟のお話の最後、神様が雲の中に虹を置いてくださると約束された時でした。神様は虹を見た時に私たちとの間の「永遠の契約」について思いおこすと言われたのです。しかし神様は忘れるような方ではありません。でも神様はあえて虹を置かれたのです。なぜでしょうか。人が忘れるからです。私たちが忘れてはいけないから、虹を置いてくださり、思い出すきっかけを作ってくださったのです。
だから虹を見る時、皆さんは神様のことと、神様がノアと結ばれた約束、そしてその約束を神様はかならず守られることを思い出さなくてはいけないのです。そして神様を信じていかなくてはいけないのです。
3.月曜日:過ぎ去った日々を顧みること
申命記4章にはこの「覚える」を意味する言葉が何度も出てきます。4章でモーセは神様が約束にもとづいてされたことを伝えます。モーセは自分たちが体験したことがどんなにすばらしいことかを人々に教えようとしました。エジプトで奴隷だった自分たちを神様が救い出してくださったこと、そのために神様がどんなにすばらしいことをしてくださったかを人々に伝えるのです。
皆さんは自分にそんなことが起こったら、こんなにすばらしいことを忘れるはずがないと思うでしょう。でも人は忘れてしまうのです。だからモーセはそれを伝えよう、確認しようとしたのです。体験をとおしてモーセが伝えたかった覚えておかなくてはいけないことは、神様が私たちとの約束を守ってくださったことでした。
私たちが、神様が約束を守ってくださったことを忘れず覚えているならば、今度は私たちが神様との約束を守るところに進むことができるからです。
4.火曜日:注意して、……忘れず
モーセは神様との契約について「注意して」、「忘れず」、それを「語り伝えなさい」(申命記4:9,23-24)とすすめています。私たちは大切なことをしっかり覚えておくことが必要です。創世記で蛇に答えたエバのように、大切なことは“だいたいこんなことだろう”ではいけないのです。だから何度も注意して、何度も確認しなくてはいけないのです。駅員さんがひとつひとつ「指さし確認」をしているのを見たことはありませんか。大切なことであれば、私たちもそれと同じようにしないといけません。そうしないと正しく覚えることができなくなり、忘れてしまうのです。忘れてしまえば、神様との約束をきちんと守ることができなくなるのです。
それだけではありません。神様との契約は、神様と人との間の契約です。神様と私だけでなく、愛する人にも関係しています。だから皆さんにとっても、周りの人にとってもいい方法があります。愛する人々に神様のことを語り伝えるのです。伝えることがあるのです。勉強をするときと同じです。習ったことを教えあうことで、あなたも正確に覚えられます。伝えてみんなで覚えておくほうがいいことがたくさんあります。ぜひ皆さんも神様のことを伝えてください。
5.水曜日:食べて満足する
いつも神様は私たちを守っていてくださいます。聖書を見ると神様はイスラエルの民たちも守っておられました。でも民たちは守られて安心した生活をすることで、神様のことを忘れてしまうこともあるのです。
皆さんはどうですか。なにか不安なことがあったり、お願いしたいときには、神にお祈りするでしょう。でも豊かで、なに不自由なくすごすときに、私たちは満足してしまい、他のことに心うばわれることはありませんか。そんな時神様のことを忘れてしまい、神様からはなれてしまうのです。だからモーセは恵まれているときこそ危険だと言っているのです。あたたかい食事があること、よく眠れること、話せる人がまわりにいること。これは神様の守りがあるからなのです。こんな時大切なのは、神様のことを忘れるのではなく、神様に感謝することです。
6.木曜日:奴隷であったことを思い起こしなさい
モーセやイスラエルの人々の「出エジプト」の出来事は、神様のことを知る大切な体験でした。イスラエルの人々はそれを忘れないために「過越しの祭」をして祝ったのです。人々は「過越しの祭」をすることで、自分たちが奴隷として苦しみのなかにいたこと、そして神様がそんな自分たちを奴隷から救い導きだしてくださったこと、そのために神様が大きな犠牲・苦しみをはらわれたことを忘れないようにしたのです。
これは、イスラエルの人々だけに必要なことではありません。私たちも罪の奴隷として苦しみのなかにいました。そしてイエス様が「私たちの過越しの小羊として」血を流してくださったことで、私たちも罪の奴隷から自由になることができたのです。これは決して忘れてはいけないことなのです。
これだけでなく、私たちは神様との間で忘れてはいけないことをたくさん持っています。でも私たちは「過越しの祭」を行っていません。では忘れないためにできることはないでしょうか。毎日聖書を読んだり、神様のことを思ったり、神様にお祈りをしたり、そして愛する人に神様のことを伝えたり。安息日の礼拝もこの働きをもっています。皆さんも忘れないためにできることをしていきましょう。
7.金曜日:さらなる研究
神様は虹をかけて、私たちが大切なことを思い出すことを考えてくださいました。この虹が、誰もが見あげることができる空にあることは、なんてすばらしいことでしょう。皆さんは最近空を見あげることはありますか。天を見あげることはありますか。見あげれば私たちは神様のすばらしさを発見できるのに、自分の足もとやまわりばかりを見ていると、どんなにすばらしいものが用意されていても、その恵みをうけることはできません。皆さんはいそがしい一日一日すごされているでしょう。でもちょっと一息ついて、自分の足もとやまわりの人の富や栄誉ばかり見ることはやめて、天を見あげていきましょう。