「なぜいま研修センター建設なのか」と質問を受けることがあります。それは、私たちの教会にとって最大の必要が「新生したキリストの弟子」だからです。
ユダヤの指導者であったニコデモにキリストは明言されました。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」(ヨハネによる福音書3章3節)。誰でも新しく生まれなければ、神の愛も神の恵みも神の国の本質も知ることはできないのです。神の愛も恵みも知らない者が神の国のために働くことはできません。救霊の働きは神の国の働きだからです。新しく生まれることをキリストは、霊から生まれるとも言っています。まさに日ごとの聖霊による新生です。
たとえ教会員籍があろうと、もし私たちが新生していなければ神の国に生きてはいないのです。新生して神の国に生きている者は、いつも絶えずキリストの御心を求め、キリストに従うことを求めます。「しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです」(ガラテヤの信徒への手紙6章14,15節)。
新生していなくても、教会生活も教会奉仕もできます。牧師の仕事もできます。しかしそれは命のない形式的なものに過ぎません。そこには愛も真実もありません。私たちが知的にキリストを知っていても、体験的にキリストにあって新しく生まれ変わってキリストのものとはなっていないからです。
「もし私たちがキリストのものであれば、彼と一つの心になり、彼を思うのが最高の楽しみとなり、私たちの持ち物も、私たち自身も、すべて彼にささげてしまいます。そして、主のみかたちに似、主の霊を呼吸し、主のみ心をなし、すべてのことにおいて主を喜ばせたいと願うようになります」(『キリストへの道』81ページ、改訂3版文庫判)。「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」(コリント人への第二の手紙5章17節、口語訳)。この新生の経験に導かれるために研修センターを用いたいのです。
また研修センターは、信徒を弟子に変えるためにも用いられます。「私たちの使命―愛情深い証人として生き、主のまもない再臨に備えて三天使のメッセージの永遠の福音をすべての人に宣べ伝えるイエス・キリストの弟子をつくること」。この使命宣言に則ったキリストの弟子を育成したいのです。
キリストの弟子は、単なる教会の信徒ではありません。教会に集まり教会に奉仕し祝福を求めるだけではなく、教会から出て行って、愛をもってすべての人をキリストの弟子にするために献身する者です。自分を捨て、自分の十字架を背負って、キリストのあとに従う者です。研修センターでは、救霊のための伝道方法も学びます。この日本でどのようにキリストを証しし、キリストに導くか、弟子となるための学びが必要です。
「新生したキリストの弟子」を育て、教会に貢献するのが研修センター建設の目的です。
教団総理 島田真澄 アドベンチスト・ライフ2019年8月号