私が什一を神様にお返しする事にしたのは、教会員になる前でした。「人類のあけぼの」を読んでいた時に、聖書のマラキ書3章も読んだと思いますが、「ああ、神様の物を盗んでいた。知らなかったのです。」それで、給与を頂いた中から什一を神様にお返しする事にしました。教会に所属していないため、自分で考えて、キリスト教関係の色々なところに寄付をしたり、聖書を購入してプレゼントしたりしました。間違った什一ですが、神様は祝福して下さり、それまでより貯金が増えました。そんな中で教会に招かれて1993年、43歳の時にバプテスマを授けられました。安息日の事で失業しましたが、頂いた物をお金に換算したりして什一をお返ししました。いつも、必要な時に必要な物が与えられ困った事がありません。什一の恵みをとても感謝しています。
今回は、神学科に入学した時の事と卒業した時の事を証したいと思います。
貯金が無くなったので、神様に「お仕事をください。」とお願いしました。すると、牧師先生が「神学科に行って学んでは如何ですか。」と募集要項を下さいました。その時「学びたい!」と思いました。父が急死した年で、母が落ち着くまでと考えて二年待ちました。願書を取り寄せて、健康診断書も出来ました。早朝に祈りの時を持ち感謝の祈りが溢れました。神様が天の窓を開いてくださると思いました。でも、願書提出の時3万円必要でしたが与えられませんでした。二次募集の日が過ぎました。ミセスに話したら、「あら、三育だから、三次募集があるわよ。」とおっしゃって、牧師先生が神学科に問い合わせてくださいました。「入学金と前期の授業料があれば、後はなんとかなるでしょう。」とお返事がありました。
それまで、「お金を下さったら行きます。」とお祈りしていましたが、お祈りが間違っていたことに気が付きました。「行きますから、入学金と前期の授業料を下さい。」とお祈りしたら直ぐ与えられました。友人が100万円下さって、「返さなくて良いよ。今まで出したいと思わなかったのに急に出したくなったから。」とのこと。
上京しなくて、現地で入学試験があり、神速で引っ越して、4月の入学式に間に合いました。48歳でした。勤労学生になり、週20時間図書館で働きました。奨学金を頂き、たくさんの方々に助けて頂きました。牧会実習までは乗り切る事が出来ました。学院に帰ると、牧会実習中のテストやレポートが待っていました。勤労学生のもう一人の方が実家に帰省されてその方の分も夜、図書館で働きました。更年期でもあり体調を崩して、勤労学生を辞めることにしました。1年留年することになり長老会の奨学金は頂けませんでしたが、学生文伝をさせて頂き学生文伝の奨学金を頂きました。沢山の方に助けて頂きました。しかし、卒業を前にして、学院に借金が出来てしまいました。事務長先生が「卒業してから返せば良いですよ。」と借用書を提出するように計らってくださいました。
でも、私にはどうしても納得することが出来ませんでした。それで、神様にお話ししました。「神様、私は今まで忠実に什一をお返ししてきました。神様のご用の為に神学科で学ばせて頂いています。それなのに、借金を抱えて卒業するのはおかしいと思います。マラキ書3章10節の御言葉にあるように天の窓を開いてあふるる恵みをお注ぎ下さい。」
すると、神学科入学時に勘当されていた母から、学院に100万円送金があり口座が黒字になりました。また、卒業式の時の写真を母に送付したら、とても喜んで卒業後、新しい任地に赴任する時に100万円送金してくれました。エアコンとパソコンを購入することが出来ました。神様の恵みをとても感謝しました。
その後も、色々な事がありましたが、いつも什一の祝福を頂いています。
藤髙邦子
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