天が歓声を上げた日
「御使いは言った。『その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。』」創世記22章12節
先週は、「神様のご命令に従うことが、神様を畏れる者の特徴である」と考えました。今日はもう一つの教訓について考えます。アブラハムは神様に自分の独り子をお献げすることを拒みませんでした。この例によって、「神様を畏れる者は神様に何でも惜しみなくお献げする」、と学び取ることができます。
アブラハムが息子を献げるという試練を見事に乗り越えた信仰が、神様と天の住人に見過ごされることはありませんでした。エレン・ホワイトはこの場面を次のように美しく描写しています。「全天は驚嘆と賞賛をもって、アブラハムの断固とした服従を見守った。全天は彼の忠誠に賛嘆の声をあげた」(『希望への光』76ページ)。
アブラハムがその従順を身をもって表したとき、天は歓喜に包まれました。現代の言葉で言うならば、「天は総立ちで、父アブラハムに拍手喝采をした」、と言えるでしょう。「アブラハムがイサクを献げた!」という歓喜の瞬間でした。
サタンは、私たちが神様に従い、忠実に惜しみなく献げることを思い留まらせようとするかもしれません。しかし、私たちが神様の声に耳を傾けるか、それともサタンの声に耳を傾けるのか、神様と天の全てが私たちの選択を見守っていることを忘れてはなりません。
什一と統合約束献金をお返しする今、私たちが従順と最善を尽くして神様にお返しすることによって、「行動に移す信仰」が全天に喜びをもたらすこととなりますように。