「初め」は神のための場所
「初めに、神は天地を創造された」(創世記1章1節)
聖書の最初には、先在についての詳細な説明なしに、神のおられる所を「初め」として描写しています。神を「初め」と位置づけることによって、神がすべてを始める方であると宣言しています。パウロの言葉では、主は「隅のかしら石」となっています。啓示者ヨハネにとって主は「アルファ」です。「神を第一に」というアピールは、厚かましくも、私たちが神を第一にするかどうか決めることができる、というように聞こえるかもしれません。しかし神を第一に、ということは、神がどんな御方なのかを認めることなのです。神は、初めの方、すべてを始める方です。私たちが神を第一にする時、私たちは、宇宙の序列に私たちの存在を合わせているのです。
「初めの方」「始める方」が、いるべきところにいなければ、私たちの存在はありません。私たちは、何も始めることができません。私たちに与えられているものが小さくても大きくても、それを取り扱う時、何を、誰を「初め」の場所に置こうとしているでしょうか。今年を、あなたの人生最良の時にしたいと望むなら、神をすべての「初め」と認める選択をしましょう。
*聖句は©️日本聖書協会