誰が神より多く与えることができるでしょう
私たちが気前よくささげるとしたら、それは神の気前よさに感化されたからです。神殿建設を準備するにあたって、まずダビデ王が惜しみなく個人の財産からささげたことが聖書に書かれています。他のリーダーたちも王の模範に従って喜んでささげました。人々も「全き心をもって自ら進んで主にささげ」ました。ダビデは「すべてはあなたからいただいたもの、わたしたちは御手から受け取って、差し出したにすぎません」と歌っています。誰も神より多く与えることなどできません。
マサイ族のアブラハムという男性は、1000頭の牛と、羊と山羊の群れを所有していました。祝福の源は神であることを認め、彼は神に忠実であろうと決心しました。牛を大きな囲いの中に入れるとき、彼は10頭ごとに雌牛にしるしをつけ、神への什一としました。彼らの文化では、人々の富は牛の数で計られます。人々は彼をあざ笑い、多くの者は「彼は気が狂った」と言いました。しかし9か月後、アブラハムの雌牛のうち40頭が双子を産み、多くの山羊や羊が三つ子を産んだ時、あざ笑う声は消えました。
今週、私たちは什一と統合約束献金をもって礼拝する時、自分の生活の中で神への誠実さをあらわしましょう。
*聖句は©️日本聖書協会