献金を献げるべき時
「私たちが神様に献金を献げるべき時はいつなのかしら?」
マーサは彼女に聖書研究をしているジャッキーに尋ねました。
「毎月、毎安息日、私たちが心から感謝した時、それとも、説教壇からの呼びかけがあった時、良いプロジェクトがあるのを知った時、それとも、自分の心で今が献げるべき時だと感じた時かしら?私が献金を献げるべき時を決めるための聖書的な原則はあるのかしら?」
ジャッキーは言いました。
「聖書は、『何も持たずに主の御前に出てはならない』とは言っているけれど、『主がお与えになる前に献げなさい』とは言っていないのも本当よ。パウロは、『持たないものではなく、持っているものに応じて、神に受け入れられるのです。』と言っているわ。神がお与えになることが、人が献げることに先行するのね。」
マーサは質問しました。
「什一を献げる時には、いつも諸献金も献げるべきだと思う?」
ジャッキーは言いました。
「そうね。マラキ書3:8には、什一とその他の献げ物が両方とも同じように要求され、期待されていることがはっきり示されているわ。そして同じ文脈の中で、什一もその他の献げ物も献げないなら、それは神様から引き離し、道徳的、霊的な腐敗と同時に物質的な荒廃を招くとも言っているわ」(マラ3:9-12参照)。
ジャッキーは続けました。
「さらに、ソロモンは献げ物の規則性についての一般的原則についても述べているわ。『それぞれの収穫物の初物〔初めの物または最も良い物〕をささげ、豊かに持っている中からささげて主を敬え』(箴言3:9)。ソロモンはここで、私たちが神様に栄光を帰する時の規則性は、私たちが什一を献げる時と同じように、収穫、あるいは収入の頻度によって定められるべきだと言っていると思うの。だから、什一やその他の献げ物は、祝福(収穫や収入)がある毎に献げられなければならないの。そうして私たちは、神様がその祝福の与え主であることを覚えるのね。」
「このささげるという問題は、衝動にまかされていない。神は、それについて具体的な指示をお与えになった。神は、十分の一と諸献金を、われわれの義務の秤とされた。神は、われわれが、規則正しく、組織的にささげるように望まれる…。」
『祝福に満ちた生活~スチュワードシップに関する勧告~』p.95
ジャッキーは尋ねました。
「マーサ、あなたは、主があなたを祝福されるのと同じように、規則的に献金を献げることを誓うことによって、『約束する者』になりたいと思わない?」
アピール:神様が規則的に私たちを祝福してくださっているように、私たちも神にお渡しすべき分をお捧げしましょう。
祈り:神様、どうぞあなたのものをお受け取りください。イエス様のみ名によってお祈りします。アーメン。