それって教会の発明なの?
誰が什一の制度を発明したのか、教会はなぜ什一を要求するのか、あるいはなぜ什一は正確に10%でないといけないのか、と考える人がいるかもしれません。別の異なるパーセンテージでは受け入れられないのでしょうか?什一の制度は教会の発明ではない、というのがその答えです。安息日や結婚と同じように、什一は(ユダヤ人だけでなく)全人類のために、ユダヤ国家が制定されるずっと以前に、神様ご自身が制定された制度であり、そして今もなお、神様を創造者であり与え主として認め、聖書全体を神様の御言葉として受け入れるすべての人々によって実行される制度なのです。
アブラハムやヤコブも、ユダヤ国家が制定されるはるか以前に什一を献げました。そして什一の律法は、ユダヤ人の子孫が国家として制定されるに際して、再び是認されたのです(レビ27:30,32)。しかし、私たちは、どのようにして什一が、私たちの収入、あるいは収穫物の10パーセントでなければならないと知ることができるのでしょうか?他のパーセンテージや異なる量で献げることはできないのでしょうか?私たちは什一を私たちの給与からのみお返しするべきなのでしょうか?その他の収入についてはどうなのでしょうか?
まさにこの「什一」という言葉は、ヘブル語の「マアサー」から来ており、「十分の一」または10%を意味します。それ以上でもなく、それ以下でもありません。ですから、他のどんなパーセンテージも什一と呼ばれることはないのです。それは、いかなる形での収入、または収穫物であれ、それを神様からの祝福として認知し、それを定期的に実証すること、そして、その祝福の十分の一を表わす正確な量を測ることは、信者にとって非常に大切なことなのです。
アピール:ソロモンの次の招きに従いましょう。「それぞれの収穫物の初穂をささげ、豊かに持っている中からささげて主を敬え」(箴言3:9)。
祈り:愛する主よ、今日、私たちの什一として、あなたの経済的な祝福を正確なパーセンテージでお返しすることによって、あなたへの信頼という強い思いと同様に、私たちの人生をも献げます。あなたを礼拝するにあたって、どうぞ私たちを祝福してください!