なぜ誓いが重要なのでしょうか?
それは安息日の朝でした。牧師は誓いを新たにする式を導いていました。この式は、教会員に対して、安息日を守ること、伴侶に対して忠実であること、そして、什一をお返しし、収入のあるパーセンテージを献金として献げることに対する誓いを新たにするよう奨励するものでした。
マーサは最後の誓いについては納得できませんでした。
「なぜ私は献金について誓わなければならないのかしら?」
彼女は、聖書研究をしてくれているジャッキーに尋ねました。
「心が動かされた時や、何か支援の必要な意味のあるプロジェクトがあった時に献げるだけじゃいけないのかしら?」
そう言うマーサに、ジャッキーは次のように話しました。
「私たちの心は『何にもまして、とらえ難く病んでいる』(エレミヤ17:9)と聖書にある通り、私たちは何が正しいのかを判断する時、自分の感情や衝動にだけ頼ることはできないの。」
ジャッキーはエレン・G・ホワイトの引用にも触れながら続けました。
「私たちが献げ物をする時、『〔私たちにとって〕感情や衝動に支配されることは安全ではない』の。なぜなら、私たちの中の、生来の自己中心の傾向は愛よりも強いからなの。『悪が勝利する』という規則にある通りね。彼女はこうも言っているの。『もし、衝動や単純なる人間的同情に支配されるなら』『人々のための努力が感謝されなかったり』あるいは、『寄付が乱用されたり、浪費されたりするようなことが…あると』、私たちは献げるのをやめてしまうでしょうね。だから、『クリスチャンは、救い主の自制心と犠牲の模範に従って、一定の原則に従って行動すべきである』のよ。」
(『祝福に満ちた生活~スチュワードシップに関する勧告~』p.31~32参照)
ジャッキーは言いました。「
「だから、神様の御前で謙遜に献げられた誓いや約束は、神様に、あなたの御霊によって、私たちの利己的な石の心を、神様ご自身が創造された心に入れ替え、喜んで定められた原則にしたがって行動させてください。そして神様の御心が成りますようにとお願いすることなの。私たちが約束するのは、私たちが自分の力でそれをするからではなく、私たちの内に働く神様の奇跡的な力によるの。」
そしてジャッキーはこう付け加えました。
「それは、『あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるから』(フィリピ2:13)なの。」
真剣に祈った後で、マーサは、もう彼女の献げ物を感情やプロジェクトや同情に任せるのはやめて、原則によって、献げるべき収入のパーセンテージを誓い、規則的、計画的な献金として献げる決心をしたのです。
アピール:「あなたたちの神、主に誓いを立て、それを果たせ、取り囲むすべての民は 恐るべき方に貢ぎ物をもたらすがよい」(詩編76:12)。
祈り:主よ、どうぞ、今日私たちがあなたの御前に立てる誓いをお受入れください!