スチュワードシップとは
スチュワードシップとは、「キリストの所有権を認め、神の共労者として歩き、地上における神の聖事業を管理する神の代理人として行動する人の生き方のことである」
(世界総会スチュワードシップ部)。
イエスの十字架の贖いによって神の子とされた私たちは、同時に「スチュワード」(管理者)としての使命が委ねられています。生命、健康、財産、能力、時間など、すべて神から与えられる賜物です。これらの賜物を正しく管理し、活用することをスチュワードシップといい、地上における神の代理人としての生き方をいいます。
キリストの所有権を認める
「見よ、天とその天の天も、地と地にあるすべてのものも、あなたの神、主のものである」(申命記10章14節)。
この世界は神の所有物です。同時に神は私たちに「地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる」(創世記9章2節)と、地と地にあるすべてのものの管理を託してくださいました。
神の共労者となる
キリストの地上における働きは福音宣教の働きでした。
「そのときから、イエスは、『悔い改めよ。天の国は近づいた』と言って、宣べ伝え始められた」(マタイによる福音書4章17節)。今、キリストの神の子とされた私たちは、神の共労者として福音宣教の働きを託されています。「それから、イエスは言われた。『全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい』」(マルコによる福音書16章15節)。
神の計画の管理者
「こういうわけですから、人はわたしたちをキリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです。この場合、管理者に要求されるのは忠実であることです」(コリントの信徒への手紙一・4章1、2節)。聖書にはわたしたちが管理すべきものとして「神の秘められた計画」とはっきりと示しています。ではこの「神の秘められた計画」とは何なのでしょうか。
「世の初めから代々にわたって隠されていた、秘められた計画が、今や、神の聖なる者たちに明らかにされたのです。この秘められた計画が異邦人にとってどれほど栄光に満ちたものであるかを、神は彼らに知らせようとされました。その計画とは、あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望です」(コロサイの信徒への手紙1章26、27節)。ここには、秘められた計画が「あなたがたの内におられるキリスト」であり、すべての人がキリストによって救われるという神の救いの計画であると書かれています。すなわち私たちは「すべての人がキリストによって救われるという神の救いの計画」の管理者なのです。
僕としてではなく、友として
神はこの管理者としての働きに僕としてではなく、友として、私たちを招いておられます。「もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである」(ヨハネによる福音書15 章15節)。神はこの大切な働きに私たちを管理者として加えて、「いっしょにしよう」と誘ってくださっているのです。つまり、神はスチュワードシップであり、パートナーシップの関係で私たちを招いてくださっているのです。
罪に沈んだ者のための奉仕
『キリストの実物教訓』350ページによると、神も、キリストも、天使も、「罪に沈んだ者」のために奉仕してくださっていると書かれています。私たち管理者もこの計画に従って、天の働きに加わることが期待されています。スチュワードシップとは単に「献金をすること」や「奉仕をすること」ではありません。「罪に沈んだ者」を救う働きのために、キリストによって救われた神の子として、献金し、奉仕する管理者の生き方なのです。
つまり、自分自身と財産を用いて、神の救いの計画のために奉仕をすることが期待されているのです。
天に宝を積む
聖書には「罪に沈んだ者」に対して無関心だった金持ちの議員の話が記録されています。何をしても「永遠の命」の確信を得られなかった彼に、イエスは「持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい」(ルカによる福音書18章22節)と言いました。イエスは金持ちだったこの人に、祝福として与えられていた「持っている物」を「貧しい人々」のために使うようにと勧めたのです。そして、「そうすれば、天に富を積むことになる」と言いました。「富」(口語訳聖書では「宝」)とは「貧しい人々」のことでもあり、神の宝である彼らを「救い」へと導くことは、「天に富を積む」ということなのです。献金さえすれば、天に宝が積まれるわけではありません。罪に沈んだ者へのキリストの熱意を受け止め、同じ思いをもって「人々の救いのために神と協力して働くこと」なくして、「天に宝を積む」ということはできないのです。
この金持ちの議員は、自分の地位や財産は自分のものであり、自分のために好きなように使っても良いと考えていたのかもしれません。そのような彼に必要だったことは、すべての所有権はキリストにあると認めることでした。そして、キリストは貧しい人々の救いのために奉仕しておられ、自分もその働きに加わるように招かれていることに気づく必要もありました。イエスは、彼の人生が祝福され、地位や財産を与えられているのは、神が「天に宝を積む」働きに招いておられるからだということに気づいてほしかったのです。
神の秘められた計画が私たちに委ねられた理由
神は「共労者」「管理者」がいなくても、「秘められた計画」を推進することはおできになります。しかし神は「管理者」を立てて、私たちをこの働きへと加えてくださいました。その理由は、キリストのように、自分を失うことによって相手が得るという経験を通して、私たち自身がキリストに対する思いをさらに深めることができるからです。これは、自分が親になってわが子に接してみると、親に対する感謝がさらに増してくるのと似ているかもしれません。神と心を一つにし、私たちの手に委ねられているものを「魂の救済」のために用いるとき、私たちにも救いの確信が与えられるのです。
*聖句は©️日本聖書協会
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