第5課 過越(8月2日) 津村 聖
1.安息日午後
[暗唱聖句]
もし、あなたがたの子供たちが「この儀式はどんな意味ですか」と問うならば、あなたがたは言いなさい、「これは主の過越の犠牲である。エジプトびとを撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越して、われわれの家を救われたのである」。出エジプト記12:26,27、口語訳
神様はエジプトにただ災いを与えたわけではなく、災害から逃れる道を示しておられました。神様が示された「逃れる道」に従うか、従わないかというのが問われていました。私たちは神様の御心を知っていながら従わないことはないでしょうか。今、私たちが何に従っているのかが問われているのです。
2.日曜日:もう一つの災い
神様は「愛」と「正義」という2つの性質を持っています。私たちは自分の力で「愛」と「正義」の両方を行うことはできません。
私たちは「愛」と「正義」の両方を行うことが出来るのは私たちが神様とともに歩むときです。
「主が何をお前に求めておられるかは/お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し/へりくだって神とともに歩むこと、これである」。ミカ6:8
3.過越
私たちは自分たちの見えるもので判断しがちです。しかし、神様が私たちに求めておられるのは神様を礼拝することです。神様を礼拝しているならば、必要なものは神様が備えてくださいます。神様を第一にして参りましょう。過越の経験、つまり神様からの祝福と恵みを受けた経験を私たちはしています。イスラエルの人々はその経験を次の世代にも伝えていきました。私たちも自分の神様との経験を伝えていきましょう。
4.火曜日:「ペサハ」(過越祭)
過越の際に鴨居に塗られた小羊の血は、世の罪を取り除く神の小羊であるイエス様を指し示していました。過越の祭りの中でも罪の象徴である※酵母を取り除いたパンが食べられていました。私たちが取り除かなければならない罪はなんでしょうか? 自分が神様との関係をより良くしていくために取り除かなければいけないものはなんなのかということを今一度考えてみてください。
※酵母(パン種):パンを膨らませる物(糖をアルコールと炭酸ガスに分解する微生物)
5.「継承する」(「継承する:伝えると言う意味)
私たちは今伝えるということの重要性を強く感じているのではないでしょうか。なぜ、伝えることができないのでしょうか。伝えることに恐れを抱いてはいないでしょうか。神様があなたにしてくださったことをあなたの身近な人に伝えてください。臆病な霊は神様の霊ではありません。力強く伝えていただきたいです。それはもちろん伝える相手のためではありますが、それだけではなく、あなたの新たな神様との経験になるのです。
6.木曜日:「神の裁き」
私たちは神様の裁きをどのように捉えているでしょうか。私たちに起こる悲惨(悲しくみじめ)な出来事は、私たちの罪の(自分が正しいと思って行動した)結果である場合があります。神様は私たちに自由意志を与えてくださいました。だから私たちには選択の自由があります。しかし、全てが私たちの益(プラス)になるわけではありません。私たちが罪の性質(自分が1番と思うこと)に従って悪を選択してしまうことがあるからです。悪を選択した結果を私たちは刈り取るのです。そして悪を選択した結果によって本人だけではなく本人以外に影響を及ぼす場合もあるのです。これが罪(自分が正しいと思って行動した)の恐ろしさです。
7.金曜日:「さらなる研究」
イエス様の十字架はあなたのためのものです。もちろん全人類のために死なれましたが、その中にあなたも含まれているということを忘れないでください。私たちはイエス様が私たち1人1人のために死なれたことを忘れがちです。イエス様はあなたの魂が救われるその光景を見て、あなたが救われるのであれば十字架の杯を飲もうと決心されたのです。イエス様の愛はあなたに向けられています。イエス様と神様から向けられているあなたに対する愛を今日、受け取ってください。イエス様と神様とあなたとの関係がこれからますます深まりますよう祈っております。