安息日学校部

20250211安河内アキラ解説

2025年第2期「聖書の預言の学び方」
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第11課  ルツとエステル 6月14日

 

暗唱聖句:王は庭に立っている王妃エステルを見て、満悦の面持ちで、手にした金の笏を差し伸べた。エステルは近づいてその笏の先に触れた。 エステル記5:2
                                          

今週の聖句:ルツ1:1~5、ルツ2:5~20、ヨブ記1:6~11、マタイ4:8、9、エステル3:1~14、黙示録12:14~17

                                          

今週の研究:今週も引き続き、終末の諸事件を予表する物語を研究します。神は、現実の出来事や人物を用いることで、私たちが神の視点から物事を見られるように、また、のちに起こる預言を解釈する方法を理解できるように助けてくださいます。それらの預言は、私たちの信仰を強めるために与えられています。
言うまでもなく、預言において女性は神の教会の力強い象徴であり、神がご自分の民をどのように見ているかを明らかにしています。神の御言葉の中で永遠に語り継がれる生涯を送った、この2人の女性の聖書物語に目を向け、彼女たちの経験からできる限りの教訓を得ましょう。

                                           

月曜日:クリスチャンは長い間、ボアズがキリストの予型であると理解してきました。キリストは私たちの創造主であるだけでなく、私たちの親戚─肉体を持ち、血が流れる、まことの人になることを選んでくださったのです。それが、ご自分のことを何度も「人の子」(マタ12:8、マコ8:31、ルカ22:22、ヨハ3:14)と呼ばれた理由の一つです。
あまりにも多くの人が、厳しい言葉で神を考えています。もし私たちが道徳的課題をすべて満たすなら、神はおそらく私たちを天国に入れられるが、それは単に私たちが課題を満たしたからであって、神は仕方なくそうするのだ、と言うのです。ボアズにあらわされたキリストの姿は、そのような概念を完全に覆します。神は私たちを配慮されるだけではありません。私たちがどれほど霊的に貧しくても、私たちをご自分の花嫁として望まれるのです。

                                           

水曜日:エステルの物語では、地位と権力に飢えたハマンが出てきます。彼は帝国内で、ほかの大臣の誰よりも重要な地位を与えられています(エス3:1) 

エゼキエル28:11~15やイザヤ14:12~15を読むと、ルシファーとハマンとの類似点がいくつか見つかります。ハマンは、神の選民に対する邪悪な敵対者であり、神の主権に屈することを拒みました。サタンの包括的な意図は、キリストを誘惑した物語の中で明らかにされています。その中でサタンは、イエスを高い所に連れて行き、この世の国々を見せます(マタ4:8~11)。これまで見てきたように、キリストは世界をあがない、それをご自分のものだと主張するために来られました。そして、人間の1人として、それを実行されたのです。イエスは親戚の身請け人であり、言うまでもなく、この世界をあがなうために支払った対価は、非常に高いものでした。

黙示録を見ると、権力と礼拝に対するサタンの欲望がこの世に最後の危機をもたらすことがわかります。彼の欺瞞によって、この世の人々は「驚いてこの獣に服従」(黙13:3、4)するようになります。彼を礼拝することを拒む注目すべき例外者もいますが、これらの人々に対して、サタンは力に訴えるのです。
ハマンは、神の選民の1人であるモルデカイが、自分に従いもせず、自分が「礼拝」されるべき正当な資格だと信じるものを認めようともしないことに気づきます。彼は「怒りに満たされ」、モルデカイの同胞を地上からすべて抹殺する決意を固めました(エス3:5、6、口語訳)。

                                           

木曜日: 木曜日:一部のクリスチャンには、聖書の預言の困難な事柄にばかり目を向ける傾向があります。私たちは、試練の時代が待ち受けており、預言の研究が恐怖に基づいたものになりうることを知っています。物語の約束された解決ではなく、苦難のほうに焦点を合わせてしまうからです。神は未来のことをごまかさず、現在から大争闘の終結までの間に起こる出来事について正直に伝えられますが、物語を最後まで読むことが常に重要です。

預言には一般的なパターンがあり、神は、私たち人間の反逆が引き起こした混乱についての真実を明らかにし、その結果を私たちに示されます。しかしその一方で、神は常に希望を与えられます。ある人たちは、最後の危機である「ヤコブの苦しみの時」の預言を恐れおののきながら見てきました。間違いなく、最後の時は、神の民にとって容易なものではないでしょう。しかし、困難な時の預言が確かであるように、救いの約束も確かなのです。
黙示録12章では、悪魔が憎しみに満ちた復讐心からキリストの花嫁を追いかけますが、神は彼女を救うために介入されます。エステル記の物語にも、ドラマの中心的役割を果たす美しい女王が登場し、神は彼女を力強く用いてご自分の民を救われます。

                                           

今週の学びは、ルツとエステルという二人の女性を用いて、神さまがどのように愛する民や家族を守られるか教えています。この二人はクリスチャンとしてとても魅力的な存在で、わたしたちの大学の女子寮の名前も用いられています。どちらの物語を決して長くはないので、神さまがどのようにして働かれたか、また彼女たちは物語の結末を知らずに与えられた役割を果たして行きます。その想いを考えながら、今週の学びとともにぜひ二つの書簡を通読してみてください。

今週学ぶ二人もそうでしたが、神さまを信じていても苦しみはやってくるのです。もし飢饉に襲われなければナオミはモアブへ行かなかったでしょう。そしてルツも配偶者の死がなければナオミとともに異国の地へは行かなかったでしょう。エステルもハマンが悪だくみしなければ、いのちがけで王の前に立つことは無かったでしょう。けれども彼らの人生には苦しみがやってきました。それは彼らに原因があったわけではありません。そこで彼らは決断を迫られたのです。この時に、彼らは決断の結果、どうなるかはっきりと知らされたわけではありませんでした。けれどもだれかの幸せのために、その時に自分ができる最善の決断をしたのです。

神さまはわたしたちにだれかの幸せのために働くように召してくださっています。けれどもその結果はわかりません。しかし信じて前進する時に、それが神さまの祝福の扉を開くこととなって行くのです。