第12課 栄光の時――十字架と復活 平本 光
1.安息日午後 今週のテーマ
【暗唱聖句】「そこでピラトはイエスに言った、『それでは、あなたは王なのだな』。イエスは答えられた、『あなたの言うとおり、わたしは王である。わたしは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける』」。(ヨハネによる福音書18:37、口語訳)
福音書で十字架刑と復活に関する内容は重要なことなのでイエスの3年半の活動の中で特に詳しく書かれています。またイエスの十字架刑について4つの福音書で強調していることが違います。十字架刑はローマの国で一番受けたくない苦しく恥ずかしい処刑方法でした。しかし、この十字架でイエスが死ぬことで救い主であり、天の王座に座る王であることをヨハネによる福音書では伝えています。
今週は十字架と復活の場面を学びます。
2.日曜日:真理とは何か
「ピラトはイエスに言った、『真理とは何か』」。(ヨハネによる福音書18:38、口語訳)
ピラトはイエスの裁判を担当した人です。ピラトはイエスに罪があるか調べるために質問をして、罪がないこと、イエスを通して真理とは何かわかりましたが、自分に必要だとは思わず、受け入れませんでした。
3.月曜日:見よ、この男だ!
「イエスはいばらの冠をかぶり、紫の上着を着たままで外へ出られると、ピラトは彼らに言った、『見よ、この人だ』」。(ヨハネによる福音書19:5、口語訳)。
他の福音書と違って、むちに打たれることやいばらの冠は、死刑を宣告される前にイエスを十字架につけたい人たちを満足させるために行われています。『見よ、この人だ』というのは、むちで打たれ、いばらの冠をかぶらされるようなこの人が王だと思っているのかという意味があり、見ている人がかわいそうだと思って釈放を認めてほしかったようです。
4.火曜日(かようび):「成し遂げられた」
「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。(ヨハネによる福音書16:33、口語訳)
「成し遂げられた」とは、旧約聖書の預言をすべて成就して、贖いのわざを成し遂げた勝利の叫びです。また、イエスの母親マリアとイエスの弟子ヨハネが家族となるように命じられていますが、贖われた人たちの新しい関係があります。マリアとヨハネが家族となったように私たちもイエスを通して神の家族となれることが教えられています。
5.水曜日:空の墓
「イエスの頭に巻いてあった布は亜麻布のそばにはなくて、はなれた別の場所にくるめてあった。」(ヨハネによる福音書20:7、口語訳)
イエスが復活した後に墓が空になっていましたが、頭を覆っていた布が体を覆っていた亜麻布と一緒ではなく、別の場所にきちんと整えた状態で巻いて置かれていました。体にまかれている包帯をとるのには時間がかかります。イエスの体が盗まれたのだったら盗んだ人がわざわざきれいに包帯を巻きなおしておくことはしません。このことから復活によって墓が空になっていたとヨハネは信じることができています。
6.木曜日:イエスとマリア
「イエスは女に言われた、『女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか』。マリヤは、その人が園の番人だと思って言った、『もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります』」。(ヨハネによる福音書20:15、口語訳)
イエスが復活したあと最初に出会われたのは弟子ではなくマグダラのマリアでした。墓が空になった意味が理解できず、悲しんでいるマリアに話しかけ希望を与えます。またイエスが十字架の苦しみを受け、死者の中から復活されたのは父のおられる天でイエスを通して神に近づくすべての人のためにとりなしをされることをマリアに伝えます。この希望をマリアはほかの弟子たちに伝える役割を与えられています。
7.金曜日:さらなる研究
ピラトは、イエスの無罪を信じていました。ピラトは十字架からイエスを救おうと何度も試みました。ピラトはイエスを王として、つまり「ユダヤ人の王」として認めることさえしました(ヨハネ19:19)。しかし悲しいことにピラトは、イエスを「自分の」王であり救い主として受け入れようとしませんでした。(『ヨハネによる福音書―イエスのあかしを信じる(ガイド副読本)』92ページ)
事実を受け入れることはできても、それを自分のものとして受け入れることは難しいものです。私たちに心を変える力はありません。しかし、伝えなければ知ることができず苦しんでいる方がいます。イエスの愛を伝え続けましょう。
話し合いのための質問
・私たちが救いを得るために、なぜイエスの死が必要だったのでしょうか。どんな聖書の言葉があなたを導いていますか。
・ピラトのように、イエスを「自分の」王であり救い主として受け入れられないことがありますか。そうならないために気を付けていることがありますか?