第11課 神の印と獣の印(その1) 6月10日
暗唱聖句:「わたしはまた、もう一人の天使が生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上って来るのを見た。この天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に、大声で呼びかけて、こう言った。「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。」黙示録 7:2、3
今週の聖句:黙示録 14:12、エフェソ 2:8~10、マタイ 27:45~50、黙示録 13:15~17、 黙示録 14:4、ルカ 5:18~26
今週の研究:獣の刻印に関する世の終わりの出来事について学ぶとき、明らかになる重要な点があります。それは、神がなされることと、魂の敵がすることの違いです。
これまで学んできたように、キリストとサタンの大争闘の中心にある争点は、 忠誠、権威、礼拝です。
神の民は、神ご自身がどのように自分たちに仕えられているかを知っているので、神に献身します。終わりの時に、私たちを獣の刻印を受けないように守る唯一のもの、それは、何ものも引き離すことができないほど深い、イエスへの愛です。
今週、私たちはこのテーマをより深く学びます。
日曜日:「忍耐」を意味するギリシア語は、「ヒュポモネー」です。これは、「不動の忍耐」と訳したほうがよい言葉です。神は、反対や激しい迫害に直面しても、なお神に忠実な終わりの時の民をお持ちになります。神の恵みを通して、彼らは不動の忍耐をもって立ち、神を中心とし、恵みに満たされて、従順な生活を送ります。
創造主を礼拝すること(黙14:7)は、獣を拝むこと(同14:9)に真っ向から対立し、神の戒めを守り、イエスの信仰を持つ民(同14:12、英語欽定訳)に見いだされます。キリストか、獣の権力に忠誠を尽くすか、という最後の争いは、 礼拝を中心に展開し、善と悪との大争闘の中心に安息日が置かれます。
火曜日:預言は、迫害はまず「この刻印のある者でなければ、物を買うことも売ることもできなくなる」という経済制裁から始まると語っています。このようなことが起きれば、大多数の人が降伏することでしょう。拒む者はだれでも最終的に死刑の宣告を下されます。
悪魔は、クリスチャンを公言する者たちが、将来、最後の試みの時に獣の刻印を受け入れるように、クリスチャンの生活の中に妥協を持ち込み、準備しています。私たち1人ひとりに対する神の愛が、これから起こる困難な時に、私たちを強め、私たちを守ります。
木曜日:黙示録の獣は、異教のローマから出現し、世界規模の礼拝体系に成長する背教的な宗教勢力です。黙示録13:5によれば、獣は神を冒とくする力を持っています。新約聖書では、神への冒とくは、神の権限や特権を同等に有するようにふるまうという意味があります。
一方、1テモテ2:5は、神と人との間の仲保者はただおひとり、人であるイエス・キリストであると教えています。これに対して、ローマ教会は神と罪深い人間との間の仲保者は、司祭であると教えています。しかし、司祭自身も罪のある人間であり、司祭もまた仲保者を必要としています。ですから、私たちの仲保者になることはできません。神への冒とくは、人が神であるとか、人が神の代わりに立つと主張することも定義されます。
金曜日:これまで学んできたように、創造主としてのキリストの概念が、安息日礼拝のまさに中心にあります。イエスは絶えず、ご自身を「主」(マタ12:8、マコ2:28、ルカ6:5)と呼ぶこの日の重要性を強調されています。安息日は、私たちのアイデンティティーを永遠に思い起こさせるものです。安息日は、私たちが人間として何者かを思い起こさせます。安息日は、人類1人ひとりに価値を与えます。安息日は、私たちが造られた存在であり、創造主こそが私たちの忠誠と礼拝を受けるにふさわしいお方であるという思想を絶えず強めます。これが、サタンが安息日を非常に嫌う理由です。安息日は、私たちを、私たちの創造主と結び合わせる黄金の絆であり、それが終わりの時代の最後の危機にあって重 要な役割を果たす理由です。
今週と来週、神の印と獣の印について学びます。
わたしたち日本人にとって、印を押すことは、自らの所有権を表すことであり、また承認したことになることは理解できますね。神の印が押される「それはいつだろう?」、「どのようにしたら押していただくことができるだろう?」とわたしたちは心配します。いつもお話ししていますが、神さまがなさることとわたしたちがすることは異なります。神さまがなさることは、神さまが最善の時を選ばれて行われることであり、それはわたしたちがどんなに探そうとしても見つけることはできません。
日曜日と火曜日の学びで「忍耐」と「迫害」について書かれています。黙示録13章を見ると、経済的な迫害が起こることが書かれています。むかしはこのことを理解できませんでしたが、今はわたしたちが買い物をする時に、ポイントカードなどを用いるでしょう。それは買い物をする時に、わたしたちがポイントを付与されるかわりに、どのようなものを買っているかなどの情報を店に提供しています。そのような中に、個人の思想に関する条項を加えれば、簡単に経済的な迫害をすることができる時代となりましたね。いつの時代も神さまを信じるものは迫害を受けました。残念ながら終わりの時代にも迫害があると預言されています。けれどもわたしたちは神さまの力と最終的な勝利を信じて忍耐をして行かねばなりません。
神の印、獣の印が押されるのは、わたしたちの信仰生活の結果なのかもしれません。最後まで忍耐をして神さまとつながっている人を、神さまは必ず神の印を押して救ってくださるのです。神の印、獣の印は、わたしたちが人生で選択した結果が神の印となるのです。だから悪魔は人間を誘惑して、まちがった方法で救いを求めるように導くのです。天地を創造された神さまこそが、礼拝を受けるにふさわしいお方なのです。そのためにもわたしたちは安息日を覚えることが大切なのです。