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第12課 1粒の麦のように死ぬ 山口健太
1.安息日午後
一粒の麦が豊かに実を結ぶためにはその種が死ぬ必要があります。このたとえは神の御心に従順であることについて表されています。神様の御心に従うためには、古い自分を放棄しなければならないのです。
2.日曜日:奉仕のための従順
フィリピ2章5〜9節には神の御心に従順だったイエスの模範が記されています。イエスは神の御心に従順であるためにご自身の権利を放棄されました。キリストは私たちを救うために神の身分を放棄し、人間と同じ姿になられました。それも人類に仕える僕として地上に来られました。また、平安な長寿ではなく、残酷な十字架刑による死を経験されました。神の御心に従うため、徹底的にご自身の権利を放棄されたキリストに私たちは学ぶ必要があります。
3.月曜日:神の御心を知るために捨てるべきもの
自分の人生における神様の御心を知ることはクリスチャンの大きな課題の一つです。ローマ12章1、2節には神様の御心を知るための三つの重要なポイントが書かれています。
- 神の憐れみについて正しく理解する
- 自分を生きた供え物として神に献げる
- 心を新たに変えていただく
自己に死に、心を新たにされなければ神様の御心を理解することはできません。神様に喜ばれる生きた供え物となるために、私たちの中で完全に死んでいない部分がないか祈りましょう。
4.火曜日:喜んで聴くこと
サムエル記上3章10節には、私たちが模範にすべきサムエルの神様に対する態度が描かれています。『どうぞお話しください。僕は聞いております』と神様に祈りましょう。
私たちは日々祈りの中で、自分の思いや言いたいことなどを神様にぶつけています。それら全てを神様はしっかりと聴いて下さっています。しかしその一方で、どれだけ私たちは神様に聴くという態度を持っているでしょうか。自分の考えや思いばかりをただぶつけるばかりの信仰は次第に間違った方向に行ってしまいます。なぜなら「信仰は聞くことにより始まる」(ローマ10:17)からです。
5.水曜日:自分を頼みとすること
私たちが罪を犯してしまうとき、その多くの場合神様ではなく、自分自身を頼みとしてしまうことに問題があります。エバがエデンの園で罪を犯したとき、彼女は神様ではなく自分の判断に頼ってしまいました。サウルも同じでした。神様から与えられた明確な指示に従わず、自分を頼ってしまった結果彼は堕落してしまったのです。
どうすれば自分ではなく、常に神様を頼みとすることができるか考えてみましょう。
6.木曜日:代わりのもの
もう一つ私たちが罪を犯してしまうときの傾向として、神様ではなく代わりの何かを頼みとしてしまうことがあります。神殿の建設に携わったゼルバベルは多くの困難に直面しました。そんなゼルバベルに対して与えられたゼカリヤの言葉に注目しましょう。「武力によらず、権力によらずただわが霊によって、と万軍の主は言われる」(ゼカリヤ4:6)私たちが他のものを頼みとする誘惑に遭うとき、この聖句を思い起こしましょう。
7.金曜日:さらなる研究
私たちが神様に従順になるためには、何よりも神様のみ言葉にしっかりと耳を傾けることが重要です。イエスのように神様のみ言葉を心に蓄えて、常に神様のみを頼みとすることができるよう祈りましょう。