安息日学校部

202102002安河内アキラ解説

2021年第2期「約束―神の永遠の契約」

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第2  契約についての初歩的 4月10日

 

暗唱聖句
「今、もしわたしの声に聞き従い/わたしの契約を守るならば/あなたたちはすべての民の間にあって/わたしの宝となる。世界はすべてわたしのものである。」
出エジプト記19:5

                                           

今週の聖句
創世記9:15、イザヤ54:9、創世記12:1~3、ガラテヤ3:6~9、29、
出エジプト記6:1~8、エレミヤ31:33、34

                                           

今週の研究  契約という言葉は何を意味するのでしょうか。契約にはどんな要素が含まれますか。神はノアとどんな契約を結ばれましたか。アブラハムと交わされた契約の中にどんな希望を見ることができますか。神との契約に際して、人間の側での信仰と行いはどんな役割を果たしますか。契約はただの取引でしょうか。それとも相互の関係性によるものでしょうか。「新しい契約」の本質は何ですか。

                                           

月曜日:神は洪水が起こり、世界は滅ぼされることをノアにお告げになります。しかし、神は彼と取引をし、その中でノアとその家族を救うことを約束なさいます。このように、この取引のために神が支払う掛け金は実に高いものでした。なぜなら、もし神がこの約束を守られなかったなら、いずれにせよ、ノアは残る世界と共に拭い去られてしまうことになったからです。
神はノアと、「契約」を立てると言われました。この契約を立てるということ自体、それは相手の言うこと、することに敬意を表す行為です。契約の言葉は気まぐれな言葉ではありえません。その言葉自体に責任が伴います。神が、「見よ、世界は恐ろしい大洪水の中に終わる。そして私はおまえを救う。いや、救わないかもしれない。とりあえず、これとこれはするが様子を見よう。だが必ず救う保証はできない」と言われたとしたら。そのような言葉はもはや「契約」ではなく、その中に保証も約束も見いだせません。

                                           

火曜日:さらに、アブラムは1つだけ、しかしきわめて困難な、「行きなさい」との命令を受けます。彼は信仰によって従いますが(へブ11:8)、それは約束された祝福のためではありませんでした。彼の服従は、愛の関係に対する彼の信仰の応答であり、神のお望みになることが実現するためでした。言葉を変えれば、アブラムはすでに神を信じ、すでに神に信頼し、すでに神の約束を信じていたのです。もしそうでなければ、彼は親族と祖父の地を離れ、見知らぬ土地に行き、そこで新たな出発をすることは決してできなかったでしょう。彼の服従は、人々と天使たちに彼の信仰を示していました。
その時点ですでに、アブラムは鍵となる信仰と行いの関係を明らかにしています。私たちは信仰によって救われます。それは服従という行いを生む信仰です。救いの約束が先行し、行いは後に続くのです。服従を伴わない契約関係も祝福もありませんが、この服従は神がすでにしてくださったことに対する信仰の応答です。このような信仰は、1ヨハネ4:19にあるように、「わたしたちが〔神を〕愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです」を示すものです。

                                           

木曜日:エレミヤ31:31~34に見られる恵みと服従は、主がイスラエルと交わされた初期の契約にも見られる要素です。主は彼らの罪を赦し、主は彼らとの関係にお入りになり、そして主は彼らの人生に恵みをお与えになります。その結果として、主の民は単純に主に従うのです。それは何も考えない機械的な反応としてではなく、それは純粋に彼らが主を知るからであり、彼らが主を愛するからであり、そして彼らが主に仕えたいと望むからなのです。この主の愛に捕らえられることこそが、主がその民にお求めになる契約関係のエッセンスなのです。

                                           

まとめ:創造主との関係を断絶させた罪の侵入は、元をたどれば私たちの最初の両親によって人類家族にもたらされたものでした。今日、神は契約によって同じ愛の関係を再構築したいと望んでおられます。この契約は、神と私たちの間の(結婚のような)献身的な関係と、私たちを救い、私たちを創造主との調和の中に連れ戻す計画を意味します。

                                           

今週は、聖書の中で記録されている初期の契約について、ノアとアブラハムとの契約から学びます。この2人との契約に共通していることは、神さまが彼らを救い出すために与えてくださったものでした。そして2番目には彼らもその約束を信頼して、前に踏み出さねばなりませんでした。ノアは洪水が来ることを信じて箱舟に乗ること、アブラハムは家を出ることでした。先週も書きましたが、神さまとわたしたちは果たすべき役割が異なります。契約は双方が役割を果たしてこそ、契約からくるめぐみに到達できます。たとえばノアは神さまから洪水が来るという危険情報を伝えられ、箱舟を建造して逃げるようにと方法まで示されました。けれども信じないで何もしなかったら、おそらく彼は洪水で滅びてしまったことでしょう。

わたしも50歳になってから福祉の働きに召されました。今までまったく異なる働きに不安を覚えながらも、神さまの導きを信じて進んだ時に、それまで経験できなかったすばらしい出会いが与えられて、そして福祉の視点から教会の働きをお助けできるようになれたのは、当初考えていなかっためぐみでした。神さまを信じて進むものに必ず道を開いてくださいます。

そして契約によって神さまから与えていただけるめぐみは、罪の赦しであり永遠のめぐみです。その約束が成就するために、キリストは十字架に架かってくださいました。旧約聖書で犠牲をささげて罪の赦しを求めていても、それは十字架の予表であって、キリストの犠牲がささげられることで、めぐみの約束が成就されたのです。