第12課 あなたの栄光をお示しください 9月20日
暗唱聖句:主は彼の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代 、四代までも問う者。」 出エジプト記34:6、7
今週の聖句:出エジプト記33:7~34:35、申命記18:15、18、ヨハネ17:3、ローマ2:4、ヨハネ3:16、 Ⅱコリント3:18
今週の研究:私たちは皆、神との歩みの中で成長する必要があります。成長がなければ、私たちは死んでいます。使徒ペトロは、「わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい」(Ⅱペト3:18)と明言しています。毎日、私たちは神の大学におり、そこには卒業がなく、継続的な学習過程があります。各成長段階において、もし神があなたを、神の求めておられる人間にキリストにあって形づくられるなら、あなたは完全になることができます。
日曜日:(イスラエルの宿営の外に建てられた)「臨在の幕屋」と、のちに宿営の中心に建設された幕屋を混同してはなりません。モーセが臨在の幕屋の中でどれほど頻繁に神と相談したのかはわかりませんが、一つだけ確実にわかることは、モーセが神と会うことによって、互いの間に親密な友情が生まれたということです。「主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた」(出33:11)。友とは、相談し、ほとんどすべてのことを率直に話し合え、その人が決してほかの人にそれを漏らさないと信頼できる人です。友は、持つべき最もすばらしいものの一つであり、なるべき最もすばらしい人の一つです。
出エジプト記19章~34章に記録されているモーセの物語は、神が私たちの人生をいかに変えてくださるかについて、多くの教訓を含んでいます。神は、この優れた指導者とどのように関係を築かれたでしょうか。モーセの生涯を研究すると、彼が神の力についてだけでなく、神の愛とご品性についての知識をいかに深めていったのかがわかります。これは神との関係を築くうえで重要な要素です。
水曜日:モーセは、神の御名について、前代未聞で前例のない説明を受けたとき、ひれ伏して主を礼拝しました。私たちもまた、神の愛、恵み、憐れみ、慈しみ、善意、誠実、赦し、聖さ、正義を垣間見るとき、神に引かれます。私たちが神を愛するようになるのは、神の並外れた特質を見て賞賛するときであり、その愛は、神に仕え、従いたいという願いにつながります。神が私たちを愛しておられるからこそ、私たちも神を愛し返すのです(Ⅰヨハ4:19)。
この自己啓示の中で、神はモーセに、ご自分の民のために驚くべき業を行い、彼らを約束の地に導くことを保証されました。神は彼らとの契約を更新し、ほかの民も彼の威厳と恐るべき働きを目にするだろうと約束されました。「見よ、わたしは契約を結ぶ。わたしはあなたの民すべての前で驚くべき業を行う。それは全地のいかなる民にもいまだかつてなされたことのない業である。あなたと共にいるこの民は皆、主の業を見るであろう。わたしがあなたと共にあって行うことは恐るべきものである」(出34:10)。
しかし、イスラエルの人々が繁栄を手に入れるためには、神の言葉に従い、明確な10の規定に従う必要がありました。そこでモーセは、すでに破られてしまったその契約の内容を書き記しなさいと、神から求められました(出34:27、28)。
木曜日:神がモーセに愛のご品性を明らかにされたあと、イスラエルの宿営に下って行ったモーセの顔は光を放っていました。彼は最初、そのことに気づいていたのでしょうか。いいえ、まったく知りませんでした。主に近づけば近づくほど、人は神の聖さに比べて自分の不完全さをより強く認識します。
モーセの顔が光を放つようになった原因は、何だったのでしょうか。その理由は、彼が神の御前にいたという単純な事実ではありません。なぜなら、彼はこれまでにも何度か主と一緒にいましたが、その出会いのあとに彼の顔が光を放つことはなかったからです。しかし、もし彼が主の御前にいたことがなければ、彼の顔は決して輝いたりしなかったでしょう。モーセが神の善良さと優しさを理解し、神のご品性のすばらしさのゆえに完全に心を開いたとき、初めて彼は変えられ、その顔が光を放ったのです。私たちが神に身を委ね、神に私たちの人生の主、王になっていただくとき、私たちの心と思いは、変化を経験することができます。
今週の暗唱聖句はとても有名な聖句です。神さまがご自分のことを示されていることばです。神さまはあわれみ深く、罪を赦すと宣言されています。けれども後半では罰すべきものを罰するとあります。人は赦すけれども罪は罪としてはっきりと罰します。そして罪の影響は三代、四代まで及ぶと罪の恐ろしさを教えています。
日曜日の学びで口語訳聖書では会見の幕屋と書かれている臨在の幕屋について学びます。この幕屋がどのくらいの大きなものか聖書には書かれていませんが、モーセが頻繁に神さまと会話をする場所となっていました。そこでモーセが神さまと何を語ったのかも書かれていませんが、おそらく山積する問題を神さまに相談していたのではないでしょうか。わたしも特別養護老人ホームの施設長をしていましたが、当時もいろいろな問題があり、関係する職員と相談しましたが、それだけでは答えを見つけることができず、ただ神さまに祈ることしかできなかったことが何回もありました。きっとモーセはそのような思いを抱えて会見の幕屋へ走って行ったのでしょう。そして神さまとの学びの中でモーセは成長していったのでしょう。
神さまは同じようにわたしたちに語りかけてくださっています。けれども、神さまの声をいかに聴くのか、それはわたしたちの選びです。心から神さまに従うときに、それがあなたの生き方を変えて行くのです。そして水曜日の最後の部分にも書かれていますが、十戒を守り従うこと、それは心から神さまに従おうとしたら、ここに行き着きます。わたしたちが心から神さまに従うときに、神さまはわたしたちを用いてくださいます。