安息日学校部

20250309安河内アキラ解説

2025年第3期「出エジプト記」
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第9課  律法を実践する 8月30日

 

暗唱聖句:あなたたちは、わたしが天からあなたたちと語るのを見た。あなたたちはわたしについて、何も造ってはならない。銀の神々も金の神々も造ってはならない。(出エジプト記 20:22、23、新共同訳)

                                          

今週の聖句:出エジプト記21:1~32、出エジプト記22:15~23:33〔口語訳22:16~23:33〕、 列王記下19:35、マタイ5:38~48、ローマ12:19、マタイ16:27

                                          

今週の研究:人々の心は、奴隷生活と偶像礼拝によって盲目になり、堕落していたので、神の10の戒めの深遠な原則を十分に理解する備えができていなかった。人々が十戒の義務をもっと十分に理解し、励行するために、十戒の原則を例示し、適用するための、追加的な戒めが与えられた。これは、限りない知恵と公平によって作られ、司〔裁き人〕たちがこれに従って裁きを行ったので、掟と呼ばれた。

                                           

日曜日:シナイで律法を与えることによって、神はご自分の民に、神とのつながりを通して聖なる生活をいかに送れるかを教える基礎を築かれました。しかし、律法の原則はに適用される必要があったため、神は彼らに追加の律法、いわゆる「契約の書(Code of Covenant)」をお与えになりました。これらの律法に注意を払い、正しく適用することが、裁き人の責任でした。
「契約の書」は、いくつかの章に分かれて記されています(出21:1~23:19)。これらの規定や律法はみな、悪が押し寄せるのを食い止め、秩序ある社会を構築するために発布されました。

                                           

月曜日:神の律法には、さまざまな問題が含まれており、人をおとしめたり、辱めたりしてはならないという具体的な規定がありました。神はいかなる搾取も望んでおられませんでした。神は、その憐れみによって、人間の心の罪深い傾向を正し、人々の生まれつきの性向を抑制されます。社会は安全に保たれ、悪は排除され、良好な人間関係が育まれるべきでした。正義と愛がすべての行動を支配しなければならなかったのです。

                                           

火曜日:神はアブラハムに、約束の地はすぐには彼の子孫に与えられず、400年後になると告げられました(創15:13~16)。なぜでしょうか。その理由は、カナンの地の住民の邪悪さに関係していました。神は、それらの人々に寛大に働きかけ、悔い改めるための猶予期間を与えられたのです。しかしそれらの住民が神と神の価値観に反逆し続け、彼らの罪が満ちたとき、神は彼らの土地を新しい故郷としてヘブライ人に与える心づもりでおられました。

                                           

水曜日:この律法の本来の目的は、個人的な復讐を禁止することでした。血で血を洗う抗争や、事前調査なしの報復を止めさせるためだったのです。負傷は裁き人によって評価されなければならず、その後、適切な金銭的補償が規定され、支払われることになります。この慣習は、人々が「私的制裁を加えること」を阻止するために行われました。裁きは行われるべきですが、それは神の律法に従って行われねばなりませんでした。

 これらの社会的律法をモーセに与えたイエス・キリストは、この律法の目的を知っておられました。したがって、それを本来の意図に従って、客観的な方法で適用することがおできになりました。この律法の背後にある動機は、裁きと和解をもたらし、平和を回復することでした。ある意味で、裁きには、何らかの復讐が伴うと言えるかもしれません。これらの律法の適切な適用とは、裁きと復讐の間で正しいバランスを見いだそうとする試みのようでした。

                                           

 6月下旬に体調を崩して約一ケ月入院、その後も療養などを続けていました。この期間にたくさんの方々にお祈りをいただき、ありがとうございました。8月中旬からのインドネシアアドベンチスト大学の新学期に間に合うように当地に戻り、少しずつですが社会復帰を果たしております。また安息日学校の学びを再開できることを感謝いたします。

 今週の学びは十戒が書かれている出エジプト記20章に続くみことばです。十戒は神さまのみこころであり、愛の顕れです。わたしたち人間がいかに暮らしたら幸せに生きることができるかをまとめた原則です。けれども原則は不変ですが、時代に応じて適応をしなければなりません。そのために書かれたのが今週の学びの出エジプト記20章の後半から23章までです。ここには16の教えが書かれています。今日、この戒めを同じよう用いることはできませんが、この戒めが民に行わせようとした精神は、今日のわたしたちが十戒を適用させるときに、考える必要があるでしょう。

 ここだけでなく聖書の中には、いくつかの箇所で奴隷制度について書かれていますが、聖書は奴隷制度を是認していると誤解する人がいます。当時の時代は、水道や電気も無く、掃除や洗濯の機械も無かったので、生活を維持するためには人の力が必要でした。そして聖書の奴隷の規定は、7年後には開放されるようにも書かれているのです。また相続などについての教えも、家督が途切れないように、また復活する規定まで書かれています。聖書の教えの根底には、弱い立場の人が生きて行くために必要なものを備えようとされています。

 今日わたしたちも、みことばを適用して行かねばなりません。その時に、自分の都合の良いように解釈することは決してしてはいけません。しっかりと聖書を読んで祈り、なによりもどうしたら神さまがお喜びになるのかを考えて決断を下してください。