安息日学校部

20250210安河内アキラ解説

2025年第2期「聖書の預言の学び方」
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第10課  時の終わりに直面している者たち 6月7日

 

暗唱聖句:これらのことは前例として彼らに起こったのです。それが書き伝えられているのは、時の終わりに直面しているわたしたちに警告するためなのです。だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。 Ⅰコリント10:11、12

                                          

今週の聖句:黙示録6:12~17、マタイ24:36~44、創世記6:1~8、Ⅱペトロ2:4~11、創世記18:17~32、ダニエル7:9、10

                                          

今週の研究:神は、個人の良心の自由を侵すことなく、終末時代に起こる出来事、つまり預言者たちに明らかにした出来事を完全に導くことがおできになります。これらの重要な出来事のいくつかは、ソドムとゴモラ、洪水などのように、新約聖書が終末時代の諸事件を説明する際に特に言及しているので、明らかです。ただし、それ以外に、神の御言葉の中に与えられている真理を掘り起こすために、慎重な思考と探求を必要とする物語もあります。

今後数週間にわたり、私たちはいくつかの重要な物語を探り、それらが再臨、調査審判、最後の危機などの出来事について何を語っているかを見ていきます。そして、そのすべてを通して、キリストが中心であることを見いだします。キリストは預言の探究の基礎であり、最終目標でなければならないからです。

                                           

日曜日:興味深いことに、失われる者たちは、「これは一体何だ」とか、「この背後にいるのは誰だ」とか叫んでいません。彼らは起こっていることをわかっているようです。彼らはイエスを「小羊」と呼んでおり、そのためにはキリストの物語についてある程度知っている必要があります。彼らはまた、「小羊の怒りの大いなる日が来た」ことも、自分たちが、「だれがそれに耐えられるであろうか」という絶望的な立場に陥っていることも知っているようです。

終末の前に、福音は地上のあらゆる民に伝えられ(マタ24:14)、三天使のメッセージは地球全体に届けられます。それにもかかわらず、不意を突かれる人々もいるでしょう。情報不足のためではなく、信じて従うことを拒否したためです。これが、そのような人々が終末時代に失われる理由なのです。

                                           

火曜日:ソドムとゴモラの記事を通して、この惑星の最終時代の人々に与えられた警告が明らかにされています。黙示録20章ではっきり述べられているように、最終的に悪人は火で滅ぼされます。罪は実に欺瞞的で、私たちは自分の心の状態に気づかなくなり、自分の罪を自己承認で覆い隠してしまうのに、一方で、他人が犯した悪事は、私たちにはあからさまです。神がご自分の民にどれほど多くの愛を注いできたかについて語られた同じ章の中で、神はまた、その民がまったく同じ罪を犯したわけではないものの、実際にはソドムよりも堕落してしまったと警告せざるをえませんでした(エゼ16:47)

聖書は、本来、外の世界に向けて書かれたものではなく、神の民に向けて書かれたものであることを決して忘れてはなりません。黙示録13章や17章のような箇所で、ほかの人たちの凶悪な罪が描かれているのを見るとき、それは私たちも同じ罠に陥る可能性があるという警告なのです。

                                           

木曜日:裁きの予型であるソドムとゴモラに対するアブラハムの嘆願の物語は、裁きに関する重要な洞察を私たちに与えます。ソドムの罪は、明らかに調査されていました。神は、この町の不道徳を訴える叫びが大きかったと述べておられます(創18:20)。しかし、滅ぼされる前に調査されたのは、ソドムとゴモラだけではありませんでした。神はアブラハムに扉を開き、悪人を滅ぼすという決定において神が正しく行動しておられるか否かを、調べさせたのです。

一方、ダニエル7章で天の裁きのさなかにあらわれたのは、「人の子」、つまりイエス(ダニ7:13、マタ20:28も参照)であり、彼の登場が、この裁きにおいて、「いと高き者の聖者らが勝(つ)」(ダニ7:22)唯一の理由です。イエスの完全な義によってのみ、彼の民は裁きを通過できるのです。

                                           

今週から今期の学びの終わりに向けての数週間は、聖書の中で示されている予型について学びます。今週はノアの洪水とソドムとゴモラについて学びます。どちらも神さまが罪を見逃されず最後に裁かれることを歴史から示しています。

日曜日の引用文を読んでください。黙示録6章の第六の封印が開かれた場面が書かれています。第六の封印が開かれる時は終末時代です。マタイ24章14節では「福音が全世界に宣教されて終わりが来る」と書かれています。この宣教とは、どのくらいの人にどのくらいの内容で伝わったら成就となるのでしょうか。残念ながらマタイ24章ではわかりません。けれども黙示録6章で書かれている人は、福音を拒んだ人と教えられています。彼らがある程度キリストの十字架を理解しなければ拒むこともできません。今日、福音の宣教は残念ながら遅々としていて、進んでいるとは言えません。もし多くの人がある程度、福音を理解して受け入れるか否かを決定することができるようになるためにとなると、きっと今までの方法では難しいのではないかと思われます。聖霊は終末にわたしたちが考えられないようなすばらしい方法を用いられるのでしょうね。その時に、わたしたちが福音を受け入れたいという人たちの受け皿となる教会でありたいものです。

今週の暗唱聖句はコリント第一10章です。ここではモーセの時代に、荒野を旅した人たちのことが書かれています。彼らは開かれた海を渡り多くの奇跡を見て来ました。けれども神さまを信じずに偶像礼拝をして裁きを受けました。暗唱聖句の冒頭にある、これらのことはとあるのは彼らのことを指しています。そして終わりの時代にも神さまを信じてきたわたしたちが偶像などに唆されることが無いように聖書は語っているのです。そしてこの後に、越えられない苦しみは与えないというコリント第一10章13節の約束が続きます。聖書は神さまを信じれば苦しみが無くなるとは約束していません。惑わしもあるでしょうが、神さまは必ず守り導いてくださると聖書は約束しています。それを信じて従うのはあなたなのです。