安息日学校部

20250207安河内アキラ解説

2025年第2期「聖書の預言の学び方」
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第7課  預言の基礎  5月17日

暗唱聖句:そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」 イザヤ6:8
                                          
今週の聖句:イザヤ6:6~8、創世記3:21~24、エゼキエル1:4~14、黙示録4:1~11、民数記2:3~25、イザヤ14:12~14
                                          
今週の研究:今週、私たちは玉座の間の幻をさらに学び、人類がいかに聖なる神と関わっており、キリストの犠牲がいかに私たちを回復させ、玉座に近づけるのかを考えます。神は、個人としてだけでなく、人類全体としても私たちを回復し、私たちが再び神の栄光をほかの被造物にあらわすように計画しておられます。聖書のほかの部分を念入りに調べることで、神が赦し、あがなわれた罪人である私たち人類に与えられた高き召しを理解し、認識し始めるのに役立つ重要な手がかりを、私たちは見つけることができます。
                                           
火曜日:エゼキエルは、神の力を印象的な光景を見せることによって示されました。その場面は、神の民が今まさに直面していた苦境を反映するかのように、そもそも理解しにくい光景です。選ばれた民が約束の地ではなく、バビロンで捕囚状態にいるのです。エゼキエルが目の前の光景を観察しながら、視線を上げると、はるか頭上に神の御座が見えました。
「玉座」が出てくるほかの幻との重要な類似点に注目してください。エゼキエルが目撃した四つの生き物は、ヨハネの幻の中の生き物と同じ顔を持っています。獅子 、鷲、牛、人間です。
四つの顔を持つ神秘的な生き物は、エゼキエルの最初の描写の中では、具体的に名前で呼ばれていません。しかし、あとの別の玉座の間の場面(エゼ 10:1~21参照)では、「ケルビム」と呼ばれており、さらにセラフィムが登場するイザヤの幻に出てくる「燃える炭火」も見られます。これらの生き物は、ヨハネの幻の中で言及されている生き物と同じ顔なのです。
私たちが神の御座を見るとき、それが神とモーセとの会見の場となった典型的な契約の箱(出25:22)の上であれ、預言者の息をのむような幻の中であれ、ケルビムはいつもそこにいます。彼らは神の御座と密接に結びついているのです。神のあらゆる被造物は、神の栄光を反映するように造られました。それは、神にかたどって造られた人類であれ、神の栄光の御座のすぐ隣に配置されている天使たちであれ同じです。
                                           
水曜日:有力な部族のそれぞれが、自分たちが何者であるかを示す独自の「旗印」、つまり特別な旗を掲げていたことに注目してください。聖書には、それぞれの旗に何が描かれていたのか、明確に記されていませんが、創世記49章と申命記33章に記されている部族の特徴に大まかに基づいて、四つの顔の一つを羅針盤の四つの方位のいずれかに割り当てたという興味深い言い伝えがあります。「ラビの言い伝えによれば、ユダの隊旗には獅子が描かれ、ルベンの旗には人、または人の頭のようなものが、エフライムの旗には牛が、ダンの旗には鷲が描かれていた。このように、エゼキエルが描写した天使の姿をした四つの生き物は、これらの四つの隊旗にあらわされていたのである」(カール・フリードリヒ・ケイル&フランツ・デーリッチュ『旧約聖書注解』第1巻660ページ、英文)。
もちろん、言い伝えを深読みしすぎることは避けるべきですが、それでも、この古代の言い伝えと聖書の新エルサレムの記述を比較することは、興味深いことです。興味深いパターンが浮かび上がります。都の四方(東西南北)すべてに、三つの部族をあらわす門があるのです(黙21:12、13)。
イスラエルの宿営と新エルサレムの描写は、一つの重要な事実を明らかにしています。それは、神が人類をご自分の御座に近づけようとしておられるという事実です。黙示録は、「全能者である神、主と小羊とが都の神殿……である」(黙21:22)と教えています。
                                           
木曜日:ルシファーが聖なる山から追い出された一方で、あがなわれた人々は神の小羊とともにシオンの山に立っていることに注目してください。ルシファーはエデンにいたと言われています。人類もまたかつてはそこにいましたが、サタンの運命とは対照的に、人類はキリストを通して楽園に戻されるのです(黙22:1 ~3参照)。
これに関連して、エレン・ホワイトの次の引用文は、非常に有益です。「天は勝利に歓喜するだろう。なぜなら、サタンとその天使たちの堕落によって天に生じた空席は、主のあがなわれた人々によって埋められるからだ」(『 アドベント・レビュー・アンド・サバス・ヘラルド』1900年5月29日号)。あがなわれた人々が天国にいるのは、ひとえに福音のおかげです。実際、あがないという福音の主題が、黙示録4章と5章の玉座の間の中に生き生きと見られます。例えば、天使たちはこう叫びます。「あなたは、巻物を受け取り、その封印を開くのにふさわしい方です。あなたは、屠られて、あらゆる種族と言葉の違う民、あらゆる民族と国民の中から、御自分の血で、神のために人々を贖われ……たからです」(黙5:9、10)。なんという福音の表現でしょう! 人類のあがないのためにイエスは死なれたのです。
また、この言葉が、第一天使のメッセージを反映していることにも注目してください。私たちは、「地上に住む人々、あらゆる国民、種族、言葉の違う民、民族に……永遠の福音」(黙14:6)を宣べ伝えるように召されています。キリストがこの世のために成し遂げられたことの豊かさを、なんと力強く表現していることでしょう。キリストは、地球史のあらゆる時代のあらゆる人のために死なれました。必要なことは、そのことについて学び、そのことを受け入れる選択をするだけです。
                                           
今週は預言の基礎という題で学びます。前半はセラフやケルビムなどの神とともに礼拝をするための天使について、後半は4つの生き物について学びます。引用文は四つの生き物について選びました。黙示録に書かれている天の情景に四つの生き物は登場しますが、エゼキエル書や出エジプトの民も旗印に用いていたとすると、この四つの生き物は何を指して、そしてどのような情景だったのでしょうか。いくつかの解説書を読みましたが、四つの生き物は人、獅子、牛、鷲です。これは地上で生きている人間、動物、鳥を表していて、すべての生き物のことを指しています。そして黙示録4章は天での礼拝の様子が書かれています。すべての生き物が神さまの前に集まって礼拝しているのです。
わたしたちは地上を中心に考えてしまいますが、全宇宙は神さまのみこころに従って動いているであって、神さまを礼拝することがすべての中心に来るのです。預言の基礎は、全宇宙は神さまのみこころに従って動いているのであって、また神さまの前で行われる礼拝の場に、救われた人が再び集めようとされるのが目的なのです。そしてわたしたちがその場に集うことを選ぶように神さまは導くために預言が与えられたのです。