第5課 民族(その2) 5月3日
暗唱聖句:力を捨てよ、知れ/わたしは神。国々にあがめられ、この地であがめられる。 詩編46:11
今週の聖句:創世記2:9~17、ダニエル2:31~35、イザヤ17:12、13、ダニエル7:1~3、
ローマ3:10~19、黙示録12:15、16、黙示録10:1~11
今週の研究:イスラエルの王たちがますます邪悪になるにつれて、神の契約の民は世俗的になり、その目的から遠ざかってしまったため、神は彼らが望んでいたもの、つまり人間の統治をさらに与えられました。
このような背景を念頭に置いてダニエル書を読むと、啓発されることがあります。この本の幻の中で描かれている帝国の興亡は、「民族」、つまり異邦人に対する非難であるだけでなく、イスラエルの失敗、彼らが神の「ミツヴォット」(戒め)に従うことを拒否したことに対する非難でもあるのです。エデンで最初に与えられた自由の代わりに、何世紀にもわたる捕囚が、新しい教室となり、学ぶ意欲のある人は、この世の王国と神の王国の著しい対照を学ぶのです。
月曜日:私たちは、技術的な意味では進歩したのかもしれませんが、道徳的な意味ではまったく進歩していません。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア博士の言葉を借りれば、「私たちは、ミサイルを誘導してきたが、人間は正しく誘導してこなかった」のです。これは非常に恐ろしい組み合わせです。
多くの預言の研究者は、ダニエル2章に登場する金属が最も価値の高いものから最も価値の低いものへと移っていくことに気づきました。純金から銀、銀から青銅、青銅から鉄へと価値が下がり、最終的には鉄と陶土に至ります。
水曜日:聖書、特に預言における陸地や海という比喩表現は、非常に示唆に富んでいます。聖書の預言において、「陸地」と「海」という象徴が著しく対照的な場合を考えてみましょう。
「象徴的に地と海が対照的に並置されるとき、『陸地』は秩序ある世界、あるいはイスラエルの地をしばしばあらわし、『海』は、海が陸地を脅かすように、イスラエルの地を脅かす異教徒の国々を指す」(ベアトリス・S・ニール「封印された聖徒と患難」、フランク・B・ホルブルック著『黙示録シンポジウム』第1巻260ページ、英文)。
この考え方によれば、「陸地」は、神の統治の上に築かれた安定した場所を、「海」は、人間の傲慢の上に築かれた国々の不安定な混乱をあらわしています。
木曜日:この天使は、黙示録14章の三天使や黙示録18章の天使と同じように、大声で叫びます。これは、「多くの民族、国民、言葉の違う民、また王たち」(黙 10:11)のために、残りの教会の働きが確立される歴史上差し迫った瞬間です。
天使は「小さな巻物」、おそらくダニエル書(ダニ12:4参照)を持っており、それは数百年ぶりに初めて開かれます。彼は片足を海に、もう片足を地に置いており、これは、このメッセージが旧世界と新世界の両方を含む世界全体をカバーしているという考えを指しているのかもしれません。また、このメッセー ジがすべての国民、つまり陸に住む人々と「異邦人」の海に住む人々に向けられたものであるという考えを指しているのかもしれません。
世界はついに神の栄光で照らされ、黙示録14章の最後のメッセージがすべての人に伝えられます。イスラエルと同様、教会としての私たちの使命は、福音を伝えることです。「あらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る」(マタ24:14)のです。
先週の学びは、イスラエルの民を通して神さまの愛を伝えようとした神さまのみこころに、従うことができなかった歴史について学びました。今週はダニエル書、黙示録に書かれている神さまの民の歴史から学びます。その歴史を学ぶためには、善と悪との大争闘がなされていることを忘れてはいけません。
月曜日の学びに書かれているダニエル書2章で象徴されている国を表す金属の価値がだんだん低くなって行く、これは大切なポイントかもしれません。人類の文化は時代とともに進化をしました。けれどもそれによってよりよい世界ができたとは限りません。そのことを示しているのでしょうね。
木曜日の学びで黙示録10章について学びます。ここで小さな巻物が開かれることが預言されています。ダニエル書は「終わりの時代まで封じられる」と書かれています。それが開かれたとすれば、今の時代は終わりの時代なのです。そしてこの巻物を食べることによって、口には甘かったけれど苦かったと預言されています。これは再臨運動と大失望と考えられています。預言は一つのことを指していると理解するだけでなく、もっと広くとらえることもできます。それは最後の時には永遠のいのちを与えていただくというすばらしい約束があります。けれども従わない人には裁きが下されるのです。またそこに至るまで苦しみがあるとも預言されています。口には甘かった、それは救いの約束ですが、苦い裁きもあることを忘れてはいけません。それはわたしたちが何を選ぶか、その結果なのです。神さまの約束があなたのものとなるように正しい選びをして行きましょう。