安息日学校部

20250204安河内アキラ解説

2025年第2期「聖書の預言の学び方」
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第4課  民族(その1) 4月26日

暗唱聖句:権威、威光、王権を受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え/彼の支配はとこしえに続き/その統治は滅びることがない。 ダニエル7:14
                                           
今週の聖句:創世記10:1~12、創世記12:1~9、サムエル記上8:4~18、マタイ20:25~28、
黙示録18:1~4
                                          
今週の研究:ダニエル書と黙示録の重要な問題の一つは、この世の統治、つまり神の正当な所有物である地球を支配しようとする人間の一連の試みと、この罪と反逆の恐ろしい物語が永遠に終わりを告げたなら、最終的にどなたが義において統治されるのかということです。
その瞬間に至るまで、何千年にもわたる人類の自己統治の試みが続いています。その試みは、うまくいったためしがありません。崇高な理想を掲げた者たちでさえ、常に挫折し、多くの場合その理想には遠く及びませんでした。何千年にもわたる人類の悲しい歴史の多くは、このような失敗した支配体制がもたらした悲劇の記録にほかなりません。そして、神の「永遠の国」(ダニ7:27、口語訳)が最終的に樹立されるまで、状況は悪化の一途をたどることでしょう。
                                           
火曜日:申命記17:14~20を読んでください。「彼らに王を与えよう」と、神は言っておられないこと、むしろ、神の民が王を立てたいと決定していることに注目してください。神は、人間の統治がもたらす悪からご自分の民を守るために予防策を講じられましたが、この国とその王の歴史が示すように、それらの予防策はしばしば無視されました。
イスラエルが王を持つことを決めたあとの歴史を見れば、王の下で彼らがどれほどひどい目に遭ったかがわかります。ほかの王よりは良い王もいましたが、その「良い」王でさえ悪いことをしました(例えば、ダビデとバト・シェバ)。多くの場合、この民族は、「主の目に悪とされること」を行う相次ぐ王の下で生きたのです(王上11:6、15:26、16:30、王下3:2など参照)。
昔も今も、人間の統治には、罪人が罪人を治めるという共通点があります。
                                           
木曜日:言うまでもなく、神のご品性を究極的に示されたのは、イエスでした。彼は、神のご品性を完璧に行動で示した唯一の人間でした。しかし、イエスの完璧な模範は、確かに心に罪の自覚をもたらしましたが、招きとして意図されたものでした(ヨハ3:16~21参照)。
イスラエルという国を樹立した究極の目的は、神が教会を設立された目的と同じでした。神は、ご自分の民を用いて、罪人をキリストに引き寄せたいと望んでおられます。教会を通して伝えられる三天使のメッセージの呼びかけは、選ばれた少数の人にではなく、「あらゆる国民、種族、言葉の違う民、民族」(黙 14:6)に向かって届けられます。黙示録18:1は、キリストの再臨の前に全地が神の栄光によって輝くと預言しています。
                                           
金曜日:徐々に、最初はこっそりと静かに、そしてそれから勢力を増し、人心を支配するようになるにつれて、もっと公然と、『不法の秘密』は、その欺瞞的冒瀆的な働きを進めていった。異教の習慣は、目につかないほど少しずつキリスト教会の中に入ってきた。教会が異教から激しく迫害を受けていた間は、一時妥協と迎合の精神は抑えられていた。しかし迫害がやんで、キリスト教が王侯の宮廷や宮殿に入ったとき、教会はキリストと使徒たちのつつましやかな単純さを捨て、異教の司祭や王侯たちの虚飾と華美に倣った。そして神のご要求のかわりに、人間の理論や伝説を取り入れた。
                                           
今週の学びは、神さまが預言の民としてイスラエルを選ばれたことについて学びます。神さまは、聖書やマスメディアが無い時代に、神さまの愛を伝えるためにアブラハムやイスラエルの民を選ばれて用いられました。彼らを祝福することで、彼らを導く神さまの愛を伝えたかったのです。けれどもそれには条件がありました。それは神さまに従うことでした。けれども多くの王が神さまに背いてしまったのです。
今週の学びで、モーセを通して申命記17章で民が王を求めて来た時のことも教えられています。そしてサウルが初代の王となったのでした。神さまは彼が王になる時に、様々なしるしや導きを与えたのでした。彼は当初は神さまに従いましたが徐々に神さまの道から逸れて行ってしまったのです。火曜日の学びに書かれていますが、罪人が治める時に誘惑に負けてしまったり、まちがった判断をしてしまうのです。それでも神さまは人間に人を治めたり福音を伝える仕事を託されました。
わたしは先日、カンボジアを訪問して来ました。この国で必ず見たかったのは、赤色クメールと言われる人たちが行った大虐殺の歴史を見ることでした。彼らは1975年の革命でカンボジアの実権を握りました。彼らは農業を中心とした平等な国家を理想として、大都市にする人たちを田舎に強制移住、そして革命に反対する知識人たちの一族を抹殺しようとしました。この虐殺と餓死で国民の四分の一が死亡したと言われています。全土約300ヶ所に処刑場所が設けられ人々は殺されていきました。まだ地雷除去が終わっていないために、手付かずになっている場所も多々あり、全容が明らかになったとは言えません。
このような政府による民族浄化と言われる虐殺は、これまでの人類の歴史の中において全世界で行われてきました。その裏では悪魔が働いたことはまちがいありません。このような悲しい歴史が終わるには、再び神さまが来られて罪が滅ぼされるのを待たねばなりません。そのためにも、わたしたちは一日も早くキリストの再臨を願っているのです。