第3課 結婚の比喩 4月19日
暗唱聖句:それから天使はわたしに、「書き記せ。小羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ」と言い、また、「これは、神の真実の言葉である」とも言った。 黙示録19:9
今週の聖句:創世記2:23~25、エフェソ5:29~32、エゼキエル16:4~14、 黙示録18:1~4、創世記24:1~4、黙示録19:1~9
今週の研究:今週、私たちは、聖書が結婚について語る良い結婚と悪い結婚のさまざまな例を探っていきます。そうすることで、これらの例から教訓を得て、たとえ人々が過ちを犯しても、神がご自分の民とどのように関わってくださるかをより深く理解することができ、終末の諸事件をよりよく理解するのに役立つ、神の愛についての真実を学ぶことができます。
日曜日:生涯にわたる誠実な結婚は、人類の基礎として神が制定された理想でした。しかし、堕落した人類は、残念ながら神からいただいたこの基礎となる賜物を傷つけてしまいました。聖書が結婚を重視していることを考えれば、この制度が執拗に攻撃されてきたのは、偶然ではないでしょう。結婚は、安息日とともに、エデンの園で与えられた二つの賜物のうちの一つであり、どちらも被造物との親密な関係を求める神の願いを示すように意図されていました。
結婚は、不完全な2人の人間の親密な組み合わせであり、常に緊張の原因となります。教会とキリストとの結婚は、完全な救い主と極めて不完全な花嫁の組み合わせです。それでも私たちは、良い結婚生活が示すものから神の愛について学ぶことができます。
月曜日:イスラエルの美しさは、完全に神の賜物でした。彼女が美しく、諸国の話題となったのは、まさに彼女が神の花嫁だったからです。神は、「わたしがお前を装わせた装い〔美しさ〕には、少しも欠けるところがなかった」(エゼ16:14)と言っておられます。
これは、聖書に繰り返し登場する主題です。神の花嫁が美しいのは、彼女が何かをしたからではなく、神が彼女に恵みを注ぎ、美しくされたからです。同様に、信者たちが天の目に美しく見えるのは、私たちがそうなるために何かをしたからではなく、神の恵み、つまり神が私たちに惜しみなく与えてくださった救いのおかげです。私たちは、「神の義」(Ⅱコリ5:21)、つまり神ご自身の義で覆われているから美しいのです。
しかし、すべてが順調だったのは、エゼキエル書の次の聖句まででした。「それなのに、お前はその美しさを頼みとし、自分の名声のゆえに姦淫を行った。お前は通りかかる者すべてにこびを売り、身をまかせた」(エゼ16:15)。
私たちは、神の善意と栄光を反映するために創造されました。神の被造物が自らの美しさを自分のものと思い込むとき、その美しさは損なわれ、困難に陥ります。
木曜日:「結婚、すなわち一生の結合は、キリストとキリストの教会との結合の象徴である。キリストがご自分の教会に対して示される精神は、夫と妻が互いに示し合わなければならない精神である」(『希望への光─クリスチャン生活編』628 ページ、『アドベンチスト・ホーム』第14章)。人類がキリストを拒み、キリストに向けるべき愛情を他の神々に注いだとき、 彼は想像を絶する苦しみを味わわれました。しかし、それでもなおキリストは、 私たちのためにご自身をささげ、私たちの不貞と姦淫の代価をご自分で支払ってくださったのです。それゆえに私たちは、悔い改めてそれらから離れるなら、 永遠の命の約束を得ることができます。
今週の学び神さまとわたしたちの関係について結婚を通して伝えられているみことばについて学びます。聖書の中で神さまとの関係や再臨のなどを、結婚を通して語られている場面はいくつかあります。今週の学びでは神さまとの関係は婚姻関係のように密接な関係になると教えています。そして今週の暗唱聖句のように結婚式を再臨について教えているみことばは福音書を中心にいくつかあります(王子の婚宴マタイ22章、10人の乙女マタイ25章)。
わたしはこの稿で何回も書いていますが、神さまの役割とわたしたちの役割は異なります。神さまはわたしたちが結婚相手を選ぶ時に、いろいろは出会いを与えてくださいます。けれども決めるのはわたしたちなのです。そして結婚生活が始まってからも、いろいろなことがありその都度選択をするのは人間なのです。その結果、二人の関係に溝ができてしまうこともあるでしょう。また時にはみこころにそぐわないこともあるかもしれません。それらすべては神さまに問題があるのではなく、人間の選択の結果なのです。神さまとの関係も同じです。神さまが招き導き続けてくださっても、わたしたちが別の道を選んでしまい神さまから離れて行ってしまうこともあるのです。けれども、背を向けたわたしたちを神さまは愛し続けて、戻ってくるようにキリストが十字架に架かって罪を背負ってくださったのです。
結婚式のたとえも同じです。神さまの招きに応えれば天国へ入ることができるのです。また10人の乙女のたとえは、神さまとの関係は自分しか決められない、他の人が準備をすることができないことを教えています。神さまとの密接な関係に入るためには、お互いの同意が必要なのです。神さまはあなたとそのような関係になるように招いておられます。