安息日学校部

20250201安河内アキラ解説

2025年第2期「聖書の預言の学び方」
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第1課  預言のいくつかの原則  4月5日

暗唱聖句:むしろ、誇る者は、この事を誇るがよい/目覚めてわたしを知ることを。わたしこそ主。この地に慈しみと正義と恵みの業を行う事/その事をわたしは喜ぶ、と主は言われる。 エレミヤ9:24

                                           

今週の聖句:エレミヤ9:22、23(口語訳9:23、24)、詩編139:1~6、ダニエル12:4、黙示録22:10、Ⅱテモテ3:15~17、ヘブライ4:12

                                          

今週の研究:今週は、預言について、一貫して信頼できる理解をもたらすいくつかの原則を探っていきます。

                                           

はじめに:私たちセブンスデー・アドベンチストは、異なる解釈方法、つまりキリストを中心とした方法を採用しています。その解釈方法では、もはや預言の焦点を中東の単一の地理的場所や、そこで展開される軍事紛争に合わせません。その代わりに、キリストとサタンの大争闘というレンズを通して預言を見ます。それは、神の民、ユダヤ人、異邦人(黙12:17、14:12参照)が、獣とその像ではなく、創造主(同14:7参照)を礼拝することをめぐる最後の危機に直面するとき、山場を迎える世界的な霊的闘いです。

                                           

火曜日:ヨハネは、彼の書物を秘密にしておいてはいけないと言われました(黙22: 10)が、その点でダニエル書と黙示録は多少違います。黙示録は、最初から理解されるように意図されていました。「時が迫っている」からです。対照的にダニエル書は、遠い将来のある時点でより明確に理解されることになるのです。

何世紀にもわたって、多くの優れたキリスト教思想家がダニエル書を説明しようと試み、大きな成果を挙げた人もいました。しかし、1798年に1260年の預言が終わったあと、ダニエル書の理解は急速に深まりました。その頃、世界中の多くの注解者が、1843年頃に何か途方もないことが起こるという結論に達し始めたからです。しかし、その中で最も注目すべきはウィリアム・ミラーであり、彼の説教が19世紀の大再臨運動を引き起こし、「残りの民」の教会と三天使のメッセージの明確な理解を生み出す一連の出来事が始まりました。

言い換えれば、私たちの世界的な運動の誕生は、「終わりの時」に「知識は増す」というダニエルの預言の成就なのです。

                                           

水曜日:一部のクリスチャンが聖書の研究でよく犯す間違いの一つは、聖書を、格言やことわざの寄せ集めとして扱い、特定の状況に対処するために利用することです。ある人は、ギデオン協会が配布した聖書の巻頭にある簡単な研究ガイドに目を向け、そこにはさまざまなトピックに関する有益な聖句が記されているので、それが特定の主題に関する聖書の全体的な教えをあらわしていると思い込んでいます。

残念なことに、彼らは預言に対しても同じような解釈方法を取り、個々の聖句をその文脈から切り離し、聖書のほかの部分と比較せずに、現在の出来事と比較します。これが、預言に関する現代の本が絶え間なく出版され、数年ごとに内容を修正しなければならない理由の一つです。それらの本が、予想していたことや、その時期が間違っていたからです。

だからこそ、特定のトピックについて、単にいくつかの聖句を選ぶのではなく、そのトピックについて聖書全体が述べていることを注意深く研究し、その文脈も考慮することが非常に重要です。ある箇所を文脈から切り離し、自分の都合の良いように解釈することは、実にたやすいことです。

                                           

木曜日:聖書に聖書の言葉を定義させなければならないという単純なルールに従うことで、預言的象徴の背後にある謎のほとんどは、簡単に消えてしまいます。例えば、角は政治的権力や国家を象徴していることがわかります。剣は神の言葉を象徴し、女は教会を象徴しています。私たちはここに、聖書が聖書そのものを説明していることを、はっきり知ることができるのです。

しかし、答えられていないのは、なぜ神は率直に語らずに、象徴で語られるのかということです。例えば、Ⅰペトロ5:13で、なぜペトロはローマの都をバビロンと謎めかして呼んでいるのでしょうか。

神が預言の中で象徴的に伝えることを選ばれた理由は、たくさんあるでしょう。例えば、新約聖書の教会の場合、もし黙示録がローマを多くの悪の加害者として明白に名指ししていたら、教会の迫害は、さらにひどくなっていたかもしれません。理由がどうであれ、神が私たちに象徴の意味を理解してほしいと望んでおられることは、間違いありません。

                                           

今期の学びは預言です。アドベンチスト教会は預言の研究から始まった教会と言っても過言ではないでしょう。

旧約聖書の時代から、神さまは預言者を通して人間に光を与えてくださいました。それが聖書に残されています。預言は象徴を用いて語られていることが多々あります。それにはその時代ならではの理由があったのでしょう。けれども神さまはそのことを理解するようにわたしたちに求めています。

そのために今週の学びからは三つの視点で聖書を読むように勧められています。それは聖書を一部分だけ切り取るのではなく、全体で読むことです。聖書はいろいろな時代や立場から書かれています。時には厳しいことが書かれていたり、神さまがすべてを赦されるとも書かれていたり、読み方をまちがえると真逆なことを教えていると思われることがあります。どちらも聖書のみことばです。なぜそのような言葉が語られたのか、その背景をしっかりと理解しないと、まちがった解釈をしてしまう危険性があります。

もう一点は、はじめに書かれていますが、聖書の主題は目には見えないけれど善と悪との大争闘が行われていることです。このことを考えずに預言を調べても正しい理解はできません。最後に、わたしたちは全宇宙の歴史の一部しか見えていないのです。そのことを忘れないで謙虚にみことばから聴こうとしなければなりません。今期の学びでもたくさんの光を受けることを願っています。