安息日学校部

20250113安河内アキラ解説

2025年第1期「神の愛と正義」
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第13課  愛と正義 —愛の律法の完成—  3月29日

暗唱聖句:互に愛し合うことの外は、何人にも借りがあってはならない。人を愛する者は、律法を全うするのである。 ローマ13:8

今週の聖句:出エジプト記20:1~17、ローマ6:1~3、ローマ7:7~12、エレミヤ31:31~34、マタイ23:23、24、ヤコブ2:1~9

今週の研究:もし愛が本当に律法の完成であるならば、私たちは律法を愛から切り離して考えたり、愛を律法から切り離して考えたりしないように注意しなければなりません。聖書において、愛と律法は切り離せません。律法を与えてくださった神は愛であり、したがって神の律法は愛の律法です。エレン・G・ホワイトが言ったように、それは神の「ご品性の写し」(『希望への光』1305ページ、『キリストの実物教訓』第23章参照)なのです。神の律法は、一連の抽象的な原則ではなく、私たちの繁栄のために意図された指示や教えです。神の律法は、ある意味で、神ご自身が表現される愛のあらわれなのです。

日曜日:前半の四つの戒めは、私たちが全身全霊で神を愛するための方法であり、後半の六つの戒めは、私たちが自分自身のように互いに愛し合うための方法です。イエスは、これら二つの重要な愛の掟が律法と密接に関連していると明言しておられます。「律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている」(マタ22:40)のです。
したがって、神の律法全体は、神の愛に根ざしています。神の愛と律法は、切り離すことができません。「律法など守る必要はない。ただ神を愛し、他者を愛せばいいのだ」という声をよく耳にします。なぜそのような考えは、筋が通っていないのでしょうか。

月曜日:恵みと救いによって律法は廃止されたと考える人がいますが、パウロは、恵みが増すように私たちが罪の中にとどまり続けるべきではないと明言しています。むしろ、信仰によってキリストの内にある者は、「その(キリストの)死にあずかるために洗礼を受けた」のであり、それゆえ、自分自身を罪に対して死んでおり、キリストに対して生きていると見なすべきなのです。
神の律法は罪ではありませんが、罪と、私たちの罪深さを(ほかの何よりも)明らかにします。ですから、「律法は聖なるものであり、掟も聖であり、正しく、そして善いものなのです」(ロマ7:12)。律法は、私たちが救いとあがないを、つまり、キリストによってのみもたらされる救いとあがないを大いに必要としていることを、ほかの何にも増して明らかにします。したがって、「わたしたちは信仰によって、律法を無にするのか。決してそうではない。むしろ、律法を確立するのです」(同3:31)。

火曜日:十戒は、神ご自身によって石の板に刻まれましたが(出31:18)、律法は神の民の心にも記されるべきものでした(詩編37:30、31)。理想的に言えば、神の愛の律法は、私たちの外側にあるのではなく、私たちの内側、まさに品性の中にあるべきものです。神だけが人間の心に律法を刻むことがおできになり、神はご自分の契約の民のためにそうすると約束されました(ヘブ8:10参照)。
私たちは、律法を守ることによって自分を救うことはできません。むしろ、私たちが救われるのは、恵みにより、信仰によるのであって、自らの力によるのではなく、神の賜物なのです(エフェ2:8)。私たちは救われるために律法を守るのではなく、すでに救われているから律法を守ります。私たちは愛されるために律法を守るのではなく、愛されているからこそ、神と他者を愛したいと願うのです(ヨハ14:15参照)。
その一方で、律法は私たちの罪を示し(ヤコ1:22~25、ロマ3:20、7:7)、私たちにあがない主が必要であることを示し(ガラ3:22~24)、私たちを最善の生き方に導き、神の愛のご性質を明らかにします。

水曜日:イエスは、「律法の中で最も重要な(こと)」を「正義、慈悲、誠実」であると特定されました。そして、特に安息日という一つの律法との関係において、安息日そのものが解放と正義とに密接に結びついていることを、私たちは聖書の中に見ることができます。
これらすべての教え(やほかの多くの教え)を考慮すると、愛によって律法を全うしたいと願う者は、犯した罪だけでなく、善を怠った罪についても関心を寄せるべきです。律法を全うする愛には、単に罪を犯さないという意味で律法を守るだけでなく、積極的に善を行うこと、つまり正義と慈悲を忠実に前進させる愛の業を行うことも含まれています。神に忠実であるというのは、単に律法の文言に違反しないということだけではないのです。

今期の学びは神の愛と正義でした。今期の学びを始める前に、わたしは「最後に神さまの正義が全宇宙に証明されて、そして罪が滅ぼされて贖いが完成する」このような終わりを予想していました。わたしはいつも書いていますが、神さまの役割とわたしたちの役割が異なります。罪を滅ぼすのは神さまの働きです。それではわたしたちは神さまの正義の実現に何をしたらよいのか、これが今週の学びです。
今週は神さまのご品性の顕れである律法について学びます。律法はわたしたちに何が罪であるかを教えます。そしてわたしたちにどのように生きたら良いのかを示します。わたしたちは律法を守らねばいけません。しかし大切なのはどのように守るかなのです。律法の根底には神さまの愛があります。神さまのみこころは、わたしたちが罪を犯さないことだけでなく、神の愛を実現する人になることです。水曜日の引用文がとても重要です。自分が罪を犯さなかったかではなく、善を怠ったことへ関心を寄せるというのは大切な教えです。これは人生の向きを自分の救いのためではなく、まわりの人の幸せのために生きる方向を変えることなのです。そのような人が神さまの子どもとなり天国を受け継ぐ人になるんです。わたしたちは神さまの愛の実現のために働くように招かれています。