安息日学校部

20250112安河内アキラ解説

2025年第1期「神の愛と正義」
PDFダウンロード

                             

第12課  愛と正義 —二つの最も重要な掟—  3月22日

暗唱聖句:「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。 Ⅰ ヨハネ4:20

                                           

今週の聖句:マタイ22:34~40、ゼカリヤ7:9~12、詩編82編、ミカ6:8、マタイ23:23~30、

ルカ10:25~37

                                          

今週の研究:私たちは、最終的に神がすべてを正してくださると確信していますが、それでもなお、今ここで私たちクリスチャンが行うことも重要です。(宇宙的対立の制限要因のために)神が今すぐに根絶されない不正や悪がたくさんあるかもしれませんが、だからといってそれは、遭遇するさまざまな苦しみや悪を少なくとも可能な限り軽減するために、私たちが用いられないことを意味しません。実際、私たちにはクリスチャンとして、まさに何かを行う義務があります。

                                           

月曜日:旧約聖書全体を通じて強調されている二つの最も重い罪は、二つの最も重要な掟である神を愛し、互いに愛し合うことを怠ることです。つまり、二つの最も重い罪とは、愛さないことです。要するに、あなたが神を愛さず、他者を愛さないなら、戒めを守ることはできないのです

実際、Ⅰヨハネ4:20、21は、次のように述べています。「『神を愛している』 と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。

                                           

火曜日:神は正義を愛し、悪を憎まれると、聖書は明言しています(例えば、詩編33:5、イザ61:8)。神は不正を深く憂慮され、その不正の犠牲者であるすべての人々に代わって義憤を抱かれます。旧新約聖書全体を通じて、神は一貫して、虐げられたり、抑圧されたりしている人々を助けることに情熱を注ぎ、加害者や抑圧者に対しては義憤を表明しておられるのです。

神を愛し、神に従うと主張する者たちに、神が何を望み、何を求めておられるかは、周知の事実です。主はミカ6:8(やほかの類似の箇所)で、はっきりとこう述べておられます。「人よ、何が善であり/主が何をお前に求めておられるかは/お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し/へりくだって神と共に歩むこと、これである」

この思いは、聖書の至るところで繰り返されています。例えば、イエスは、「互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」(ヨハ13:35、Ⅰヨハ4:8~16と比較)と言われました。

                                           

木曜日:イエスは正義について語るだけでなく、正義をもたらすために来られました。イエスは、正義に対する預言者の要求と切望を成就したお方であり、これからも成就されるお方です(イザ61:1、2を踏まえて、ルカ4:16~21参照)。主は、諸国のすべての民、特に解放の必要性を認識している民が切望するお方なのです。

イエスは、権力を握り、神の御座を奪おうとする敵とは正反対でした。イエスはご自身を低くして、罪、不正、抑圧の下にある人々と(罪に侵されることなく) 一体になり、正しいお方、信じる者すべてを義となさるお方として正義を貫くために、愛のうちにご自身をささげることによって敵を打ち負かされました。キリストが律法の中で最も重要だと言われたことに関心を持たずして、私たちは、キリストが死をもって擁護された律法に関心を持っていると言うことはできません。

                                           

今期の学びは「神の愛と正義」です。この表題を見た時に、神の愛の広さと深さについては、学びの内容ついてだいたい想像ができました。けれども正義となると、いつかは罪が熟してそれを刈り取る日がやってくること、そして全宇宙の罪が清められる時が来ることを教えているのだろうと考えていました。愛と正義は表裏一体とも書かれていたので、それは神さまが人を愛してくださり自由を与えた以上、その結果責任はわたしたちにある、このような教えになるのではとも考えながら学びを進めていました。

けれども今週の学びは想像を越えたはるかにすばらしいものでした。それはこの地上では、悪によってさまざまな罪や不正や抑圧などがありますが、そのような中でもわたしたちに求められているのは神さまの正義を実現するために働くようという招きだったのです。神さまの正義は愛の実践であり、自らを低くして仕えることなのです。このような愛の実践が、苦しみある人の必要を助けて神さまの正義この地上で実現する助けになるのです。罪を定めて裁くことは神さまの働きです。けれども神さまは、わたしの手足になって働いてほしいとわたしたちに願っています。

 わたしは社会福祉の仕事をしていました。日本において、福祉の制度が整っている中においても、さまざまな苦しみのある人がいます。そのすべてを背負うことは一人ではできないことです。けれども社会制度は社会全体で支える仕組みです。様々な福祉の働きへ橋渡しをしてあげる、それも大切な働きなのです。わたしのできる何かをささげたい、そのような生き方を神さまはわたしたちに求めています。