安息日学校部

20250111安河内アキラ解説

2025年第1期「神の愛と正義」

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第11課  しなかったことがまだあるか  3月15日

暗唱聖句:そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王とだは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」 ヨハネ18:37

今週の聖句:ヨハネ18:37、ローマ3:23~26、ローマ5:8、イザヤ5:1~4、マタイ21:33~39、
イザヤ53:4、ローマ3:1~4

今週の研究:苦しみがあるとき、神はどこにおられるのでしょうか。神が善であられるなら、なぜこれほど多くの悪が存在するのでしょうか。宇宙的対立は、この重大な問題に光を当てていますが、多くの疑問が残ります。しかし、私たちが答えを得ようとして満足できないときでも、私たちは十字架上のイエスに目を向け、神が信頼できるお方であることをイエスの中に見ることができます。

月曜日:これまで見てきたように、敵は、神が完全に正しく、愛に満ちたお方ではないと主張しています。しかし、キリストにおいて、神はご自分の義と愛を究極的な形であらわし、それは十字架を通して成し遂げられました。
イエスの死後、「サタンは、自分の仮面が引きはがされたことを知った。彼の統治は堕落していない天使たちと天の宇宙の前に公開された。彼は殺人者の正体をあらわした。神のみ子の血を流すことによって、彼は天の住民の同情をまったく失ってしまった」(『希望への光』1079ページ、『各時代の希望』第79章)
救済史は、神が最終的にすべての関係者にとって良いものをもたらすようにいつも働いておられることを確信させる数多くの証拠を提供しています。聖書の神は、大争闘においてご自分が利用できる手段を考慮して、常に良いこと、好ましいことをなされます(申32:4、サム上3:18、詩編145:17、ダニ4:34〔口語訳4:37〕、ハバ1:13、黙15:3、創18:25)

火曜日:宇宙的対立の中、神は驚くべき方法でご自分の愛と義を明らかにしてこられました。しかし、「神は悪を防ぎ、悪を取り除くために、これまで以上のことをなさるべきではないだろうか」と、思う人もいるかもしれません。私たちは、神がご自分と人類の愛の関係を最大限に深めるのに必要な自由意志を尊重するために行動されたことを示す宇宙的対立の枠組みを見ました。さらに神は、ご自分の性質をめぐる宇宙的論争という背景の中で、道徳的な制約、すなわち交戦規定の範囲内で行動しておられるようです。その論争は、神の愛を示すことによってのみ解決されうるものだったからです。

水曜日:これ以上、神に何がおできになったというのでしょうか。父なる神は、愛する御子をお与えになったほどに、私たちを愛されました(ヨハ3:16)。宇宙的対立がここで示唆されているようなものであるなら、神の力の行使によって早急に解決することはできず、まず神のご性質を公に示す必要がありました。この証明は、最終的にキリストの御業においてなされたとおりです(ロマ3:25、26、5:8)。神の正義と完全な愛を損なうことなく、私たちを義とするために、神が(キリストによって)私たちのためにご自身を犠牲にして死なれること以上に、私たちが求められるものが何かあるでしょうか。
十字架の出来事は、真の愛が増え広がる状況を破壊しないようにしつつ、悪を軽減し排除するために、できることはすべて神がなされることを示しています。もし神にとってより望ましい方法が何かあったとしたら、神はそれを選ばれたのではないでしょうか。この宇宙的対立の中で、人々は大いに苦しんでいますが、誰よりも神ご自身が苦しんでおられます。十字架を見るとき、私たちははっきりと、罪がどんな苦しみと痛みを神ご自身にもたらしたのかを見ることができるのです。しかし、愛に内在する自由が非常に神聖なものであったので、キリストは私たちのために喜んでそれに耐えられました。

木曜日:聖書全体を通じて、神はご自分の名に関心を示しておられます。なぜでしょうか。あなたは、あなたが嫌う性格や信頼できない性格の人と深い愛の関係を築くことはできません。誰かがあなたの配偶者や配偶者になる人に、あなたの性格についてひどい嘘をついたとしたら、あなたはそのような主張に対してできる限りの反論をするでしょう。なぜなら、そのような主張が信じられれば、あなたの愛の関係が壊れてしまうからです。
最終的に、神の正しさは十字架と救済計画全体によって証明されます。再臨前審判において、見守る全宇宙の前で神の正しさが証明されます。
次に、救われた者たちが「天使たちさえ裁く」(Ⅰコリ6:2、3)という再臨後審判において、神の正しさが証明されます。救われた者たちに、記録を見直し、神がなぜあのように行動されたのか、神のあらゆる裁きが常に正しく、愛に満ちたものであったことを確認する機会が与えられるからです。私たちの中に、答えを必要とする疑問を持っていない人がいるでしょうか。すべてが終わる前に、それらの疑問の答えを知ることができます(Ⅰコリ4:5参照)。
最後に、すべて者がひざまずき、イエスは主であると公に宣べます(フィリ2:10、11)。これらすべてが、神の正しさを証明しているのです。

わたしたちは旅行へ行くことがありますね。そのような時には、現地で使うものなどを考えて十分な準備をします。けれども旅が始まってから忘れ物に気づくことが多いです。みなさんはいかがでしょうか。今週の学びは「しなかったことがあるか」です。
7課以降、なぜ罪が発生してしまったのか、それを神さまがどのように対応されているか、いつまでたってもなぜ罪が無くならないのかについて学んで来ました。罪の発生は神さまに問題があるのではなく、サタンは人間が自由を悪用したことにあること、また神さまが深いお考えがあって罪が熟すのを待っておられ、サタンが活動するのをゆるされているのです。
わたしたちは、この神さまの想いがすべてわかるわけではありません。けれども、わたしたちができることは、神さまがわたしたちを愛してくださっていることを信じて、つながり続けて行かねばならないのです。
今週の学びは、その神さまがわたしたちのためにやれることは全部なさってくださったことについて学びます。神さまはわたしたちに自由を与えてくださり、そしてその自由を誤用する可能性にも備えていて、キリストは十字架に架かってくださったのです。
わたしは今、インドネシアアドベンチスト大学で教えています。インドネシア語ができないわたしに、神さまはこのような素晴らしい機会を与えてくださっています。これは神さまのめぐみ以外にありません。ある先輩牧師が、「ここまでわたしを導いてくださり、最後になってあなたを天国には入れないよ!」とはおっしゃらないでしょうと話されていました。神さまはわたしたちを救ってくださるために、わたしに必要なことをすべてしてくださいました。わたしたちはその神さまの愛を信じてつながり続けていくことです。