安息日学校部

20250107安河内アキラ解説

2025年第1期「神の愛と正義」

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第7課  悪の問題  2月15日

暗唱聖句:彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。 黙示録 21:4

今週の聖句:ヨブ記30:26、マタイ27:46、ヨブ記38:1~12、詩編73編、創世記2:16、17、黙示録21:3、4

今週の研究:今週の研究:おそらくキリスト教が直面する最大の問題は、悪の問題です。つまり、神は完全に善であり、愛に満ちたお方であるという事実と、この世に悪が存在するという事実とに、どう折り合いをつけるのかということです。簡単に言えば、もし神が完全に善にして全能であられるなら、なぜ悪が存在するのでしょうか、しかも、なぜこれほど多くの悪がはびこっているのでしょうか。

日曜日:これらの聖句は、今日でも私たちに多くの疑問を投げかけています。常にではないにしても頻繁に、なぜ悪人が栄え、悪を行う者がその悪から利益を得ているように見えるのでしょうか。なぜ義人がこれほど苦しむのでしょうか。悪が生じるとき、神はどこにおられるのでしょうか。なぜ神は私たちから遠く離れ、隠れておられるようにさえ思えるときがあるのでしょうか。
これらの疑問や、より一般的な悪の問題について私たちが何を言おうと、悪を軽視しないように注意する必要があります。この世に存在する悪の種類や量を軽視することで、問題を解決しようとすべきではないのです。悪は非常に悪いものであり、神は私たち以上に悪を憎んでおられます。したがって、私たちは、この世に存在する多くの悪や不正に対して、聖書全体に響き渡る「主よ、いつまででしょうか」という叫びに加わるのです。
しかし、ここにも希望はあります。キリストが十字架上で、悪の源であるサタンを打ち負かし、最終的に悪を完全に消し去ってくださるからです。イエスは詩編22:2〔口語訳22:1〕の言葉を引用されましたが、この詩編の残りの部分は勝利で終わっています。

木曜日:神が被造物に自由意志をお与えになったのは、それが愛に必要だからです。悪の原因は、この自由意志の悪用です。ここでも多くの疑問が残ります。神は悪を激しく嫌悪しておられるのに、(一時的には)その存在を許されました。なぜなら、悪の可能性を排除することは、愛を排除することになり、悪を早々に消滅させることは、愛に必要な信頼を損なうことになるからです。
自由意志がなければ、愛はありえません。もし神が愛であるなら、神が愛や、愛が存在するために必要な自由を否定されるということは、明らかに選択肢になりえません。もし私たちが神のように最初から終わりを知っているなら、神が私たちの自由を奪われることを望まないだろう、と考える人もいるでしょう。結局のところ、愛のない宇宙に誰が住みたいと思うでしょうか。
またイエスは、愛と愛に内在する自由がとても神聖で、根本的なものであったため、それがご自分を十字架につけ、大きな苦しみをもたらすであろうことをご存じでした。しかしイエスは、この自由がご自身にどんな犠牲をもたらすかを知りながら、私たちにそれを与えてくださいました。このことは、なぜ常に私たちの念頭に置いておくべき重要な考えなのでしょうか。

金曜日:「彼が天から追放されたときでさえ、無限の知恵を持つ神は、サタンを滅ぼされなかった。神は、ただ愛の奉仕だけをお受けになるのであるから、神に対する被造物の忠誠は、神の公平と慈愛を堅く信じたうえでなされるものでなければならない。天と諸世界の住民は、まだ、罪の性質、あるいはその結果を理解することができなかったので、サタンが神に滅ぼされることの正当性をそのとき理解できていなかった。もしもサタンが、直ちに滅ぼされてしまったならば、愛からではなく、恐れから神に仕える者も起こったことであろう。欺瞞者の影響は完全にぬぐい去られず、反逆の精神も根絶されなかったことであろう。全宇宙の永遠の利益のために、サタンに、彼の主義主張をもっと展開させなければならなかった。それは、すべての造られた者が、神の統治に対するルシファーの非難の正体を本当に悟るためである。そして、神の公平とあわれみ、神の律法の不変性に対する疑惑が永久に除かれるためである。

今期の学びは神の愛と正義について学んでいます。わたしはこの稿で、何回か神さまの役割とわたしたちがすることは異なると話しています。この論点から考えると、6課までは神さまの愛がいかに広く深いかを学んで来ました。それはわたしたちの事情とは関係なく、神さまのすばらしさなのです。わたしたちはそれを信じて受け入れることしかできません。
今週からは、その愛にどのように応えて行くかを学びます。今週は「悪」についてです。日曜日の学びにもありますが、神さまがいるのになぜ悪があるのでしょうか。それは神さまがわたしたちを自由な存在として創造してくださったからなのです。だから神さまはアダムとエバに自由意思を与えていたからこそ「善悪を知る木には近づくな、食べるな」と命じられたのです(創世記2:16,17参照)。悪の原因は神さまにあるのではなく、自由を悪用した人間にあるのです。
このようなことになるとしても、神さまは人間に自由を与えられたのでしょうか。もしあなたが自由を抑圧されたどう思いますか。共産圏などは思想や信教の自由がありません、そのような世界で生きることは幸せでしょうか。神さまは人間を愛しているからこそ、わたしたちに自由を与えてくださったのです。大切なのは木曜の引用文です。キリストは自らが犠牲を払うことがわかっているにもかかわらず、人間に自由を与えてくださいました。
最後に神さまはなぜサタンをすぐに滅ぼされなかったのでしょうか。金曜日の引用文に詳しく書いてありますので、そちらをお読みください。神さまは人間に自由を与えて、わたしたちが自分から神さまのことを愛して敬って従う、そのような関係を望まれているのです。わたしたちはこの与えられた自由を神さまのみこころに従って用いていきたいものです。