安息日学校部

20250106安河内アキラ解説

2025年第1期「神の愛と正義」

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第6課  神の愛の正義  2月8日

暗唱聖句:むしろ、誇る者は、この事を誇るがよい/目覚めてわたしを知ることを。わたしこそ主。この地に慈しみと正義と恵みの業を行う事/その事をわたしは喜ぶ、と主は言われる。 エレミヤ9:23

今週の聖句:詩編33:5、詩編85:11(口語訳85:10)、申命記32:4、ヤコブ1:17、テトス1:2、出エジプト記32:14、マタイ5:43~48

今週の研究:聖書全体を通じて、愛と正義は切り離せません。真の愛は正義を要求し、真の正義は愛によってのみ統制され、愛においてのみ行われます。私たちはこの二つの概念を一緒に考えることに慣れていませんが、それは、愛も正義も人類によって大きく曲解されてきたからにほかならないのです。

月曜日:神は、単に正義を愛すると主張し、人々に正義を愛し、行うように呼びかけるだけでなく、神ご自身がこれらの特質を完全に、かつ揺るぎなく体現しておられます。聖書は、神が完全に聖く、誠実で、正しく、愛情深いお方であると教えています。神だけが常に、愛情深く、正しく、公正なことをなさるのです。神は決して間違ったことをなさいません。
聖書の神は「正しく裁く神」(詩編7:12〔口語訳7:11〕)であり、悪人は御もとに宿ることがありません(同5:5〔口語訳5:4〕)。Ⅰヨハネ1:5が、「神は光であり、神には闇が全くない」と教えているとおりです。実際、神は完全に善であられるだけでなく、ヤコブ1:13によれば、「神は、悪の誘惑を受けるような方」(ハバ1:13と比較)でもありません。
これらすべてにおいて、神の善と栄光は密接に結びついています。多くの人が力を崇拝しますが、神は万能でありながらも、その力を公正で愛に満ちた方法でのみ行使されます。モーセが神に、「あなたの栄光をお示しください」と願ったとき、神が、「わたしはあなたの前にすべてのわたしの善い賜物を通らせ(る)」(出33:18、19)とお答えになったのは、偶然ではないのです。

火曜日:マラキ3:6で神は、「まことに、主であるわたしは変わることがない」と明言しておられます。この箇所を読んで、神はいかなる点においてもお変わりにならないという意味に受け取る人もいますが、この節の残りの部分と直前の文脈から、ここで断言されている神の不変性は、神の道徳的不変性であることがわかります。この節の残りの部分は、神が関係性において変化される可能性があることを示しています。なぜなら、神は、「あなたたちヤコブの子らにも終わりはない」と言い、その次の節で、「立ち帰れ、わたしに。そうすれば、わたしもあなたたちに立ち帰る」(マラ3:7)とご自分の民に宣言しておられるからです。
つまり、神はご自分の被造物と相互作用的な関係にありますが、そのような相互関係を通して、またそのほかのすべてを通して、神のご性質は不変なのです。このことはヤコブ1:17でも断言されており、そこでは、良い贈り物、完全な賜物はみな、神からもたらされるものであり、神には移り変わりがないと明言されています。神は悪の源ではないのです。聖書は、ここでもほかの箇所でも、神のご性質は不変であると繰り返し教えています。言い換えれば、聖書は一貫して、神は道徳的に変化しないお方だと教えているのです。しかし、神は造られた者と実際に関係を持つことがおできになりますし、常に愛と正義をもって彼らに応答してくださいます。

木曜日:聖書は一貫して、「あなたの神、主(は)神であり、信頼すべき神である……。この方は、御自分を愛し、その戒めを守る者には千代にわたって契約を守り、慈しみを注がれる」(申7:9)と教えています。主の善と愛のご性質は、十字架においてイエスによって最も明らかに示されました(ロマ3:25、26、5:8参照)。詩編100:5によれば、「主は恵み深く、慈しみはとこしえに/主の真実は代々に及ぶ」(詩編89:3〔口語訳89:2〕と比較)のです。このように、神は信頼できるお方です。神はご自分の子らに良い贈り物だけをお与えになります(ヤコ1:17、ルカ11:11~13と比較)。それどころか、神はご自分に敵対する者たちにも、良い物をお与えになるのです。

今週は神の正義の愛について学びます。正義と愛ではありません。並列するものではなく連動しているのです。神さまの愛が人間が考えているものよりもはるかに大きく深いことは、これまでの学びで学んで来ました。それにも拘わらず、その愛を拒み、罪を犯し続ける人がいるのです。神さまが人間を自由な存在として創造され、そして人間が罪を犯すように生まれて来てしまったら、そのような人も出てくるのです。
まず神さまの正義について、今週の学びは不変であると教えています。神さまの不変というとレビ記26章の祝福と呪いを思い出します。神さまは信じる民を祝福して、ますます栄えることによって神さまが導いていることをまわりに示します。けれども信じない者には、様々な苦しみを与えます。それでも気づかない時には、もっと大きな苦しみを与えて、最後は外国へ散らすと預言しています。そのどん底で悔い改めたならば、その場で神の子として受け入れると約束されています。神さまはこの約束の通りに、バビロン捕囚になった民を再びエルサレムに戻るように道を開かれて、キリストを身代わりにしてくださったのです。神さまの約束は創造から今まで変わっていません。
それは愛から出ているのです。わたしたちを愛しているからこそ、いつまでも変わらず導いてくださいます。そして何が正しいことかをわたしたちに示されています。神さまの正義も不変です。これを突き付けられたら、わたしたち罪人はどうすることもできません。神さまは罪に妥協をなさることはありません。だからこそ最後の裁きがあるのです。けれどもキリストを送ってくださり、わたしたちが救われる道を備えられているのです。神さまが最善の時に裁かれることも含めて、わたしたちは神さまの愛を信頼して行くこと、これがわたしのすることです。