安息日学校部

20240411安河内アキラ解説

2024年第4期「ヨハネによる福音書の主題」

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第11課   父、子、聖霊  12月14日

暗唱聖句:しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。 ヨハネ14:26

今週の聖句:ヨハネ14:10、24、創世記3:7~9、ヨハネ16:27、28、ヨハネ16:7~11、ヨハネ17:1~26

今週の研究:ヨハネは、神を理解したければ、イエスと、御言葉に啓示されたことに目を向けなければならないと言っています。この方法によって、まったく新しい関係の世界―父、子、聖霊の神同士、神と人、人間同士の関係―が開かれるのです。今週の研究は、ヨハネによる福音書が父、子、聖霊をどのように表現しているかを、別れの説教(ヨハ13~17章)の文脈の中で見ていきます。

日曜日:ヨハネによる福音書は、私たちの起源に始まる聖書全体の物語の視点から書かれています。「初めに、神は天地を創造された」(創1:1)。つまり、初めに、父と子と聖霊は天地を創造された、ということです。彼らは万物の源であり、宇宙を、そこに住む存在も含めて創造されました。私たちの惑星では、特別に命が創造され、その中で最も特別なものが人間でした。そして、神が人間を造られた目的は、私たちが神と、また人間同士と、愛をもって調和して生きることでした。
残念なことに、ルシファーはこの世に罪をもたらしました。罪は、何よりも私たちと神の関係を破壊します。罪は、神が何者であられるかを偽って伝えるのです。そのため、イエスは神についての知識を回復し、人類に救いをもたらすために、人間の性質をおとりになりました。

火曜日:ヨハネによる福音書全体を通して、使徒ヨハネは、御子イエスが父なる神を指し示す活動をどのように行っておられるかを描写しています。イエスは、父なる神が何者であられるかを説明し、父なる神と私たちの世界との関係がどのようなものであるかを示されます。これはすべて、ヨハネ1:18にある「(独り子である神が)神を示された」(ギリシア語の「エクセーゲオマイ」。「説明する」「解釈する」「解説する」の意)という言葉と一致しています。イエスはこれを何度も繰り返しておられます。「父」(ギリシア語で「パテール」)という言葉は、ヨハネによる福音書に136回、ヨハネの手紙Ⅰ~Ⅲに18回登場し、それは新約聖書全体の使用量の3分の1以上に相当します。別れの説教は、福音書の中でイエスが父なる神を示された最も重要な場所の一つです。
父なる神との関係についてのイエスの主張は、驚くべきものです。イエスは、次のことを主張されました。ご自分の教えはすべて父なる神の教えであること。ご自分が言われることは父なる神から直接聞いたことであること。ご自分を信じることは父なる神を信じることと同じであること。ご自分の言葉も業もすべて父なる神のものであること。また、ご自分と父なる神は人類の救済のために共に働き、愛し合い、結びついておられることです。イエスが天の父なる神と親密であられることを示す、なんと力強い証しでしょう!

水曜日:「イエスは、弟子たちに聖霊の任務を詳しく説明されたときに、ご自身の心に霊感を与えた喜びと望みを彼らに吹き込もうとされた。主は、ご自分が教会に十分な助けをお与えになったことを喜ばれた。
聖霊は、主がご自分の民を高めるために天父に嘆願することがおできになるすべての賜物の中の最高のものであった。み霊は人を生まれ変わらせる働きをするものとして与えられるのであって、これがなければ、キリストの犠牲は何の役にも立たなかったであろう。悪の力は幾世紀にわたって強められ、人々がこのサタンのとりことして屈服していることは驚くばかりであった。罪に抵抗してこれに打ち勝つ唯一の道は、制限された力ではなく、天来の満ち足りた力を持って来られる第三位の神、聖霊の偉大な働きを通してである」(『希望への光』1028、1029ページ、『各時代の希望』第73章)。
ですから、神が真実であられることを証明してくださる聖霊を受けることは、なんとすばらしい祝福でしょう(ヨハ3:33)。罪、義、裁きについて、誤りを明らかにしてくださるのは聖霊です(同16:8~11)。したがって、何が正しいのか、何が真実なのか、何が善いのかを知るための鍵は、罪を自覚させ、説得される聖霊の力を通して、私たちの理性と人生経験を神の御言葉に服従させることなのです。

今週はキリストの別れの説教(ヨハネ14~17章)から、三位一体の神について学びます。キリストは父なる神と一体である、父から遣わされたと何回を語っています。それが当時の宗教の指導者から、神を冒涜していると言われ、キリストが十字架刑に処される理由にもなりました。
この別れの説教は、キリストが弟子たちにされた説教の中で、残されているものとしては最後のものです。復活後の弟子たちと再会されてキリストが語られているでしょうが、その詳しい記録は聖書にはありません。また弟子たちが、キリストとまもなく会えなくなることに気づいていません。けれどもキリストが最後に伝えたいことと思いながら読むと、この物語でキリストの想いが伝ってきます。
この説教の中で、キリストは二回に分けて聖霊の働きについて語っています。福音書の記録の中で、聖霊を冒涜するものは救われない(マタイ12:31、マルコ3:29、ルカ12:10参照)、聖霊が与えられるという約束(ルカ11:13参照)などがありますが、聖霊の働きについて具体的に書かれているのはヨハネ14,16章になります。ここで書かれている聖霊の働きは、わたしたちに罪に気づかせること、そして救い主に従うように導くことです。そのために生ける神さまからの導きを示したり、時には大きな働きもなさるのです。これはわたしたちが救い主を受け入れることを選ぶようになるためです。この聖霊の導きがなければ、人は悔い改めることができません。
そして聖霊は、わたしの代わりに働いてはくれないのです。あなたに道を示します。そしてあなたが I will go と応えたら、いっしょに歩いてくださるのです。キリストは遺されて行く弟子たちに聖霊の助けと導きを与えられました。この導きは、今日のわたしたちにも同じように与えられています。そしてその声にあなたが従うときに、新しい道が開かれるのです。