第5課 サマリア人たちの証し 11月2日
暗唱聖句:彼らは女に言った。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです。」 ヨハネ4:42
今週の聖句:ヨハネ4:1~42、ヨハネ3:26~30、エレミヤ2:13、ゼカリヤ14:8、エゼキエル36:25~27
今週の研究:キリストの時代になっても、両者の反目は続いていました。ユダヤ人はサマリア人をできるだけ避けていました。商取引は行われていたかもしれませんが、それ以外の交流は社会的に容認されていませんでした。ユダヤ人はサマリア人から物を借りたり、好意を受けたりすることさえしませんでした。このような背景の中で、ヨハネは、イエスと井戸の女やシカルというサマリアの町の人々との出会いを詳しく語っています。
火曜日:確かに最初は、どちらの人もイエスが何を言おうとしておられるのか理解できませんでした。ニコデモは、どうやって人は新たに生まれることができるのでしょうかと尋ねました。つまり、どうすれば母親の胎内に戻ることができるのかと尋ねるのです。イエスが明らかに霊的真理を指し示しておられたにもかかわらず、ニコデモは明らかに、世俗的、この世的なレベルで思考していました。この女も、イエスが明らかに霊的なことについて話しておられるのに、水に関する彼の言葉を文字どおりの意味で受け取りました。
生きた水を与えようというイエスの申し出に対する女の返事は、「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください」(ヨハ4:15)でした。彼女は、イエスが提供される水を飲めば井戸に来る必要がないので、ほかの人と顔を合わせるリスクが減るだろうと考えたのです。イエスが飲み物をお求めになることから、女性がイエスに飲み物を求めることへと、対話が急速に移行しているのが印象的です。
水曜日:これは、四福音書すべての中で、イエスが裁判以前に、ご自分がメシアであると誰かにはっきり告げられた唯一の箇所です。しかも、大勢の群衆や重要な人物に対してではなく、ヤコブの井戸に1人でいた名もないサマリア人の女に向かってでした。主は、孤立し、孤独を感じているどんな魂にも関心を持っておられます。
それゆえ、異なる文化の出身であるだけでなく、高い道徳的人格を備えていたわけでもないこの女に、イエスは、ご自分が何者であるかを隠さず明らかにされました。そして、彼女の最も暗い秘密を知っておられることを明らかにされたイエスは、この女にも主を信じる大きな理由をお与えになりました。
木曜日:イエスの収穫についての物語が、町の多くの人が回心したという記事を中断しているのは奇妙に思えます。しかしヨハネは、目の前で起きていることをイエスがどのように理解されたのかを、私たちに伝えたいのです。サマリアの女と救済計画を伝えることは、イエスにとって食事をするよりもはるかに重要なことでした。魂を救いに導くことがイエスの目的であり、彼はこの機会を用いて、たとえ自分たちとは違う人たちであっても、すべての人に福音を伝えることの緊急性を弟子たちに教えられたのです。
ヨハネによる福音書には、いくつもの見せ場があります。ヨハネ4:39~42もその一つです。サマリア人の多くが信じたのは、「この方が、わたしの行ったことをすべて言い当てました」(ヨハ4:39)と証言した女の証しのためでした。
サマリア人たちはイエスに、自分たちのところにとどまるようにと頼みました。その結果、イエスの言葉のゆえに、さらに多くの人が信じました。「彼らは女に言った。『わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです 』」(ヨハ4:42)。
先週と今週、来週の三週間は、キリストに出会って変えられて、そのあかしをして行った人たちについて学んでいます。今週はサマリアの井戸でキリストと出会った女性について学びます。
ユダヤ人のサマリア人との反目は、北王国がアッシリアに滅ぼされて、強制移住などが伴う過酷な政策が原因でした、エルサレムからガリラヤへは、サマリアを通ることが最短距離でしたが、彼らはヨルダン川の東側を迂回して歩いて行ったほどでした。今日のわたしたちも、このような先入観や偏見、差別などで人を見てはいないでしょうか。日本には雇用機会均等法という法律があり、性別や出自、家庭環境などで職員採用の際に差別することを禁止しています。その本人の力では、どうしようもできないことで差別することを、キリストは2000年前から、その壁を払うように弟子たちに示されたのでした。そのことによって教会は世界へ広がって行ったのです。
水曜日の学びで、キリストが十字架の前の裁判の時以前に、自分がキリストであることを自ら話された唯一の場面と書かれています。キリストはニコデモなどにも旧約聖書に書かれているできごとが自らのことを予表していると語られていますが、はっきりと自らのキリストと言われているのは、ここだけいうのは今週の学びで教えられました。
けれども大切なのはここからです。彼女はキリストと信じた時に、人生が変わりました。そしてそのあかしをまわりの人に伝えたのです。あなたのまわりの人から、これは良いからと勧められたら、使ってみる気になりませんか。そしてほんとうに良ければ、それを使ってまわりの人に幸せになってほしいと願って勧めます。彼女はキリストを信じたからこそ伝えたのです。
そしてもう一つ、キリストはこの街での奇跡は、彼女の秘密を知っていることを示されただけでした。みことばだけを通して彼らを導かれたのでした。それが今週の暗唱聖句の彼らのことばです。みことばは神さまからの声なのです。そのみことばは2000年生き抜いて、今もわたしたちに力を与えているのです。みことばの力を信じて、あかしをして行きましょう。