安息日学校部

20240404安河内アキラ解説

2024年第4期「ヨハネによる福音書の主題」

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第4課   メシアなるキリストの証人たち   10月26日

 

暗唱聖句:イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。 ヨハネ3:3

                                           

今週の聖句:ヨハネ1:19~23、イザヤ40:1~5、ヨハネ1:29~37、ローマ5:6、ヨハネ1:35~39、ヨハネ1:43~51、ヨハネ3:1~21

                                           

今週の研究:今週は、バプテスマのヨハネの力強い証しから始まり、ほかの証人たち(アンデレとシモン・ペトロ、フィリポとナタナエル、そして最も意外な証人であるファリサイ人ニコデモ)も登場します。しかし、(ヨハ1:35、40でアンデレと一緒にいる)もう1人の証人は陰に隠れています。その証人とは、ヨハネ自身です。

                                           

日曜日:先週の研究で説明したように、ヨハネによる福音書は、天地創造以前の永遠の昔から存在される「言(ことば)」、イエス・キリストで始まっています。しかし、その同じ序言の中に、バプテスマのヨハネがイエスの証人として登場します。当時のユダヤ人の中には、2人のメシア(祭司なるメシアと王なるメシア)を待望する人たちがいました。ヨハネは、バプテスマのヨハネがこれらのメシアの1人であると主張したのではなく、むしろ唯一の真のメシアの証人であったと明確に教えています。

また、ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、キリストは聖霊によってバプテスマをお授けになります(ヨハ1:26、33)。ヨハネはイエスの履物のひもを解く資格もありません(同1:27)。キリストはヨハネよりまさっておられました。なぜなら、彼がヨハネより先におられたからです(同1:30)。イエスは神の子であり、ヨハネは彼を指し示したにすぎませんでした(同1:34)。

                                           

水曜日:フィリポは、アンデレやペトロと同様、ベトサイダの出身でした。彼は友人のナタナエルを見つけて、イエスのことを話しました。バプテスマのヨハネは、イエスを「神の小羊」と呼んでいました。アンデレはペトロに、「メシア」を見つけたと告げました。しかし、フィリポはイエスのことを、モーセや預言者たちが書いている方と呼び、「ナザレのイエス」という名前を付け加えました。彼がナザレに言及すると、友人は激しい反応を示しました。

ナタナエルは、ナザレという小さな町に偏見を持っていたようです。確かに、王はそんな片田舎な場所から生まれないでしょう。偏見は、本当に価値あるものを見極める目を簡単に曇らせます。フィリポは、おそらくナタナエルとのこれまでの会話から、偏見に対する適切な方法は、高尚な哲学的、あるいは神学的な議論ではなく、むしろ個人的に真理を体験するように、その人を招くことであると認識していたようです。彼は単純に、「来て、見なさい」と言いました。そして、それこそが彼のしたことでした。彼は行って、見たのです。

                                           

木曜日:イエスは1人ひとりの心をご存じです。ニコデモに対する返事は唐突に思えるかもしれませんが、イエスは直接的に問題に迫っておられます。異邦人は回心する必要があると、ユダヤ人は信じていましたが、選民である彼らも回心の経験が必要であることを多くの人は理解していませんでした。国籍や育った教会に関係なく、生まれつき救われている人はいません。

アブラハムにまでさかのぼるユダヤ人のすばらしい遺産は、間違いなく、彼らに明確な利益をたくさんもたらしました(ロマ3:1、2参照)。しかし、それだけでは不十分でした。イエスはニコデモに、イスラエルの教師であり、指導者である彼が上から新しく生まれなければならない、と想像しがたいことを言われたのです!

それからイエスはニコデモに、彼自身の霊的な無知を突きつけられました。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか」(ヨハ3:10)。その叱責は衝撃的だったに違いありません。

当時、ニコデモがイエスに関してどんな疑問を持っていたにせよ、ニコデモはのちにイエスの弟子たちと共にイエスの側に立ちました(ヨハ19:39参照)。

                                           

今週は最初にバプテスマのヨハネについて学びます。キリストと彼の幼少期については聖書にほとんど記載がありません。二人が縁戚であったこと(ルカ1:36)、などからキリストの誕生に関する様々なできごとを彼は聞いていたはずです。各時代の希望を読むと、二人の接点は無かったと書かれています。ヨハネは誕生の時からキリストの働きの道を備える役割が与えられていました。彼は成長してから荒野で過ごしたと書かれています(ルカ1:80)。そして神の言葉が降って彼は働きを開始しました(ルカ3:2)。彼はキリストと同世代でした。彼が働きを初めてから、どのくらいでキリストのバプテスマがあったかは書かれていませんが、おそらくあまり長い期間ではなかったのではないでしょうか。

彼は、キリストの働きの道を備えるという役割を背負って生まれて来ましたが、神の言葉が降った時に、彼はそれを伝えることを選んだのです。その今週の後半の学びでも、フィリポは友人ナタナエルに救い主に出会ったと伝えたのです。

今週最後に学ぶのはニコデモへの教です。その時のみことばが今週の暗唱聖句となっています。キリストは働きを初めてすぐに、自分は十字架に架かって身代わりになるという彼に自らの使命をしっかりと伝えているのです。そして今週の暗唱聖句、生まれ変わらねば救われないと教えています。彼らの中にはユダヤ人だから救われるというまちがった教えがなされていました。すべての人が、キリストの身代わりの死を受け入れ、生まれ変わらないと救われません。

その後ニコデモはキリストの十字架の埋葬の時に手助けをします。その後の彼がどうなったか聖書には記録されていませんが、各時代の希望を見ると、大迫害で弟子たちが散らされて行った後も、エルサレムの教会を支えて、そしてあの夜に教えらえた教えを伝えたと書かれています。

わたしたちは、誰かから伝えられなければキリストを知ることができませんでした。けれども家族を含めて、キリストが救い主である、すべてをあがなってくださった方であることを伝えているでしょうか。教会に集まる人たちとともに神さまを讃美して、そのままで終わってしまっていないでしょうか。伝えることは勇気がいります。けれどもあなたが伝える必要がある人に伝えようとするときに、必ず神さまがあなたを導いてくださいます。