安息日学校部

20240401安河内アキラ解説

2024年第4期「ヨハネによる福音書の主題」

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第1課   道を指し示すしるし   10月5日

暗唱聖句:このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。 ヨハネ20:30、31

                                           

今週の聖句:ヨハネ2:1~11、ヨハネ4:46~54、ヨハネ5:1~16、マルコ3:22、23、マタイ12:9~14、ヨハネ5:16~47

                                           

今週の研究:今週、私たちはイエスの初期の奇跡のいくつかを見ていきます。婚礼で水をぶどう酒に変えたことから、ある役人の重病の息子の健康を回復したこと、ベトザタの池で男をいやしたことなどです。ヨハネはこれらの奇跡を「しるし」と呼んでいますが、それは道路標識のようなものではなく、より深い現実、つまりイエスがメシアであられることを指し示す奇跡的な出来事という意味です。これらの記事の中に、私たちは信仰によって応答した人々の模範を見ます。

                                           

はじめに:今期の目的は、ヨハネによる福音書のメッセージを理解することです。この福音書は四福音書の中でも独特で、しばしばイエスと1人か2人の人物との個人的な対話に焦点が合わされています。例えば、ナタナエル、ニコデモ、井戸の女、ベトザタの池の病人、生まれつき目の見えない男、ラザロと彼の姉妹たち、ピラト、ペトロ、トマスなどです。これらの記事の多くは、ヨハネによる福音書の中にしか登場しません。 ヨハネによる福音書は、使徒ヨハネを通して私たちに伝えられた神の言葉です。

聖書全体と同様、この福音書は人間の意志によってではなく、神の意志によってもたらされました。ヨハネは、多くの重要な主題(言ことば、ロゴス)、光、パン、水、聖霊、一致、しるし、証し、預言など)を伝えるために聖霊がお用いになった協力的な道具にすぎません。これらの主題は、この福音書全体を通じて相互に強調し合い、明確にし合っています。

                                           

月曜日:イエスは地上での宣教活動を通じて、人々がご自分を信じる助けとなる奇跡を行われました。ヨハネがこれらの奇跡を記録したのは、ほかの人たちもイエスを信じるようになるためでした。

奇跡それ自体が、イエスがメシアであることを証明したわけではないことを認識することは重要です。ほかの人が奇跡を起こす場合もあります。本物の預言者の場合もあれば、偽預言者も場合もありました。奇跡は、超自然的なものの存在を明らかにするだけであり、必ずしも神がそれらの奇跡を行っておられるとは限らないのです(もし「奇跡」という言葉が超自然的な行為を意味するのであれば、サタンも「奇跡」を行うことができます)。

                                           

水曜日:しるし、不思議な業、奇跡など、それ自体は神から生じたことを証明するものではありません。しかし一方で、それらが神から生じたものである場合、それらを拒絶するのは危険なことです。

いやされた男の前にイエスが姿をあらわされたとき、その男は宗教指導者たちに、自分をいやしたのはイエスだとすぐに告げました。これは神を賛美しようと思ってのことでしょうが、むしろ指導者たちは「イエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである」(ヨハ5:16)。

安息日にいやしが許されるのは、緊急の場合に限られていました。この男は38年間体が不自由でした。したがって、彼のいやしに緊急性はありませんでした。しかも、床を担がせるどんな必要性があったのでしょうか。このような奇跡を起こすことができる神の力を持つ者なら、安息日に床を家に運ぶことが許されるかどうかも知っているはずだと、誰もが思うでしょう。明らかにイエスは、時として真の信仰を妨げてきた人為的な規則や規定を超えて、より深い聖書の真理へ彼らを導こうとしておられたのです。

                                           

木曜日:イエスは、三つの段階を踏んでご自分の行動を擁護しておられます。最初に、父なる神との親密な関係を主張されます(ヨハ5:19~30)。イエスは、ご自分と父なる神の行動が調和しており、ご自身が死者を裁く力と復活させる力の両方を持っていることを示されました(同5:25~30)。

次に、イエスはご自分を擁護するために、立て続けに4つの「証拠」を提示されます。バプテスマのヨハネ(ヨハ5:31~35)、ご自分が行われる奇跡(同5:36)、父なる神(同5:37、38)、聖書(同5:39)です。これらの「証拠」は、それぞれイエスに有利な証言をします。

最後に、ヨハネ5:40~47で、イエスは告発者たちに彼ら自身の非難を示し、ご自分の働きと彼らの利己主義との違いを明らかにされます。彼らに対する非難は、彼らが望みを託しているモーセからもたらされるだろうと、イエスは主張されました(ヨハ5:45~47)。

                                           

マルコによる福音書の学びが終わり、今週からはヨハネによる福音書について学びます。今まで安息日学校の学びを長年続けて来ましたが、福音書を続けて学んだ記憶はありません。一冊の学びが終わったら、だいたい次は別の主題になることが多かったのですが、今回は福音書の学びが続きます。はじめにに書かれていますが、ヨハネによる福音書は他の福音書と多少視点が異なるところもあります。マルコによる福音書の記憶が残っているうちに、再度福音書を研究するのは意味があるのかもしれません。

そして今期の聖書研究ガイドはヨハネによる福音書を最初から順番に学んでいるわけではありません。今週の学びは2,4,5章の一部からです。今期は、毎週の主題に従って学んで行きます。ぜひ今週の聖句を読んでから学びを初めてください。

今週はキリストが救い主として働きを始めるために行ったいくつかの奇跡について学びます。月曜日と水曜日の引用文にもありますが、奇跡についてわたしたちはどのように理解をしたらよいのかです。引用文にもありますが、奇跡自体が神から生じたことのしるしにはならないのです。悪魔でさえ奇跡を行うことができ、多くに人を惑わすために彼らはいろいろなことをしているでしょう。他の宗教で奇跡らしいことが行われているとしたら、それがキリスト教会の中でも行われる可能性は多々あります。今日、ペンテコステ系の教会では、いやしを前面に出して伝道をしています。わたしは、このような癒しは神さまから来ているのか疑問をもっています。それは、奇跡は、わたしたちの願望を満たすためではなく、神さまの栄光を顕すためになさるのです。先週、わたしたちの大学で起こった不思議な働きを書きましたが、現代でも神さまは奇跡を通して働かれます。奇跡をすべて否定するつもりはありませんが、どの時代でも意見は分かれるでしょう。おそらくキリストの奇跡についても、肯定的な意見と否定的な意見が当時もあったでしょう。

大切なことは、ほんとうに神さまが奇跡を通して語りかけているとしたら、わたしたちはその声を拒んではいけないということです。今日でも神さまも、そして悪魔もいろいろな方法で働きかけます。それはあなたに正しい道を選ぶためであり、まちがった道へ陥れようとするためなのです。わたしたちは日ごとに神さまを見上げて従うことを選んで行かねばなりません。