第4課 イエスのたとえ話 7月27日
暗唱聖句:また、彼らに言われた。「何を聞いているかに注意しなさい。あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、更にたくさん与えられる。持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。 マルコ4:24、25
今週の聖句:マルコ 4:1~34、ヤコブ 1:21、イザヤ 6:1~13、詩編 104:12、ダニエル 4:7〜9(口語訳 4:10~12)
今週の研究:今週は、マルコ4章のたとえ話を研究します。共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)の中で、マルコによる福音書のたとえは最少です。
マルコ4章には、五つのたとえ(「種を蒔く人」「ともし火」「秤」「成長する種」「からし種」)しかありません。この章の大部分は、「種を蒔く人」のたとえを中心に展開しており、まずたとえが語られ、次にその理由、さらに解釈が続きます。
この三段階のパターンが、日曜日、月曜日、火曜日の研究の焦点となり、ほかのたとえは、水曜日と木曜日の研究の主題になります。
日曜日:良い土地に落ちた種は、作物の通常の生育パターンと同じように、最も長い時間がかかり、全生育期を経て実を結びます。
四つのうち三つは、失敗に関する物語で、最後の物語だけが成功、つまり豊かな収穫に関するものです。物語の長さ、物語が進むごとに種に関する時間が長くなっていくこと、そして成功に関する物語が一つだけであるという事実は、失敗のリスクはあるものの、成功という豊かな結果があることを示しています。
つまり、このたとえ話は、弟子になることには代償とリスクイエスに従うことで豊かな報いが得られることを示しているようです。
火曜日:イザヤは神殿におられる神の幻を見て、その栄光と自分自身の汚れに圧倒されます。神は彼を清め、衝撃的なメッセージを託されます。マルコによる福音書と同様、そのメッセージは、神の民に対する多くの慰めに満ちているイザヤ書のほかの部分と調和していないように聞こえます。
イザヤ6章において、このメッセージは人々に衝撃を与えて目覚めさせ、彼らが悪の道から立ち帰るようにすることを意図しています。マルコによる福音書のイエスの言葉を理解するための鍵は、マルコ3:35 にあります。イエスの言葉と教えを理解するには、神の御心を行わねばなりません(マコ3:35)。そうすることで、その人はイエスの家族に加わります。
イエスがイザヤ6章から引用された要点は、神が人々を締めのではなく、彼ら自身の先入観と心のかたくなさが救いの真理を受け入れるのを妨げているということです。これが「種を蒔まく人」の重要な真理です。どのような地になるか、イエスに身を委ねるかは、私たちそれぞれが選ぶのです。
木曜日:このたとえは、非常に小さなものが、いかにして驚くほど大きなものに成長するかを強調しています。からし種の直径は、通常1〜2ミリです。ここで説明されている植物は、たぶん小さな種(1グラム中に700粒以上)を持つ黒がらしでしょう。この種は世界最小ではありませんが、高さ3メートルもの高さに成長することを考えると、かなり小さなものです。イエスは、からしの枝に鳥が巣を作ることさえあると述べられています。この最後の言及は、詩編104:12やダニエル4:7〜9(口語訳4:10~12)へのさりげない言及です。詩編104編は世界を創造された神の力について語り、ダニエル4章はネブカドネツァルを、全世界がその下に日陰と食べ物を見いだす大木としてあらわしています。
イエスが言わんとされることは、最初は非常に小さかった神の国が、やがて大きく印象的なものになるということです。当時の人々は、弟子の一団を連れてガリラヤからやって来た、ほこりまみれの巡回伝道師を見下したかもしれません。しかし時の経過は、イエスの恵みの王国が世界中に拡大し続けていることを示しています。
今週はマルコによる福音書4章を学びます。その前に、はじめにに書かれているマルコによる福音書の前半のテーマな何か思い出してみましょう。前半は「イエスさまは何者か?」がテーマでした。彼は突然、民衆の前に現れて、そして聖画に描かれているような、一人だけ白い衣を来て背が高くて、そんな人物ではなかったでしょう。見るべき美しさは無かったと預言されていますが(イザヤ53:2参照)、きっとやさしい目で民衆を見て語られたのでしょう。その話しは、それまでの宗教的な指導者とはまったくことなり、そして癒しをなさって多くの人の苦しみを解放しました。彼は誰なのでしょう。そして誰と信じれば良いのでしょうか?
このことをふまえて、今週の種まきのたとえを考えてみましょう。種はことばを意味していると言われていますが、わたしはそれはキリスト自身でも良いと考えています。神さまのことばでも、キリストとの出会いでも、どちらも共通しているのは、すべての人に語りかけられるものです。ここまでは神さまの働きです。次はわたしたちのすることです。種が落ちた場所によって種が育つか育たないかが決まったように、与えられた光をどのように受け入れるか、それを決めるのはあなたの役割なのです。まさにマルコによる福音書の前半のテーマ、突然現れたキリストをあなたは誰と信じるか?この問いかけはいつの時代にもなされています。
あなたがキリストを信じたら、次は神さまの役割です。からしだねが大きく育ったように、神さまがあなたを導いて成長させてくださるのです。あなたが神さまを信じて進む時、神さまはあなたを大きく育ててくださる、この好循環があなたの中で起きるのです。
キリストはこのことを伝えるために、たとえ話で語られたのでした。