安息日学校部

20240211安河内アキラ解説

2024年第2期「大争闘」

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第11課   差し迫った争い 6月15日

 

暗唱聖句:真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。 ヨハネ17:17

                                           

今週の聖句:黙示録 14:7、9、12、黙示録 4:11、黙示録 13:1、2、黙示録 12:3~5、17、        黙示録 13:11~18

                                           

今週の研究:今週の研究の目的は、礼拝をめぐる今後の争いを明らかにすることです。サタンは神の律法を無効にしようとして、神の権威に挑戦します。具体的には、安息日が礼拝をめぐる世界的な争いの中心になるでしょう。サタンが安息日を嫌うのは、創造主を憎んでいるからです。サタンは、強制、圧力、暴力を用いて、キリストに対する私たちの誓いを破らせるでしょう。真の礼拝日と偽りの礼拝日をめぐって、信仰の衝突が起こるでしょう。神の最終的な訴えは、迫害、経済ボイコット、投獄、死刑判決にもかかわらず、キリストに忠実であれ、というものです。今週の研究は、私たちが地球最後の闘いを乗り越えられるようにするイエスの力を強調しています。

                                           

日曜日:黙示録全体を通じて、礼拝と被造物は切り離せない関係にあります。黙示録14:7は、あらゆる被造物の主を礼拝するよう、私たちに呼びかけています。 過去2世紀で世界を席巻した進化論を背景に、安息日は私たちのアイデンティティを永遠に思い出させるものです。それは、私たちが被造物であり、創造主が私たちの忠誠と礼拝にふさわしいお方であるという認識を常に強めます。悪魔が安息日を非常に嫌う理由の一つはこれです。

神の戒めを守ることによって創造主を礼拝することは、獣を礼拝することと真っ向から対立します。神は、歴史上最大の反対と最も激しい迫害にもかかわらず、ご自分に忠実な終末時代の民をお持ちになります。

黙示録14:12は、救い主に献身的に従う人々は「イエスの信仰」を持つと述べています。「イエスの信仰」は、見えないときにも信頼するほど深い信仰のことです。それは、理解できないときに忍耐します。それは、私たちが信仰によって受け取るイエスからの贈り物であり、差し迫った争いを私たちが乗り越えられるようにするのです。

                                           

火曜日:注意深く分析すると、黙示録13章の海の獣は、ローマから出て、世界的な礼拝制度になる背教的宗教勢力であることがわかります(黙13:3、4)。この獣は人間ではなく、神の言葉の真理を人間の法令に置き換えた宗教団体です。

黙示録13:1、6を読むと、獣の力を識別するために「冒瀆」というキーワードが用いられています。

聖書は、ヨハネ10:33とルカ5:21の二つの例で冒瀆を定義しています。(1)神であるふりをする、または神であると主張する人。(2)罪を赦す力があると主張する人。イエスは真の神であり、罪を赦す権利を持っておられたので、これらの告発は不当でした。ローマ教皇制には、聖書が冒瀆と呼ぶ二つの特徴的な教義があります。それは、司祭には罪を赦す力があるという主張と、教皇には地上における神の大権があるという主張です。

                                           

木曜日:ヨハネは続けて、「この獣には、小羊に似た二本の角があって、竜のようにものを言っていた」(黙13:11)と述べています。聖書の預言における角は力を象徴しています。先の獣とは異なり、この獣の角には王冠がなく、君主制でないことを示唆しています。2本の角は、米国の力と成功の源である二つの主要な統治原則、すなわち政治的自由と宗教的自由をあらわしています。

このおとなしく、小羊のような国は、最終的には竜のように話します。それは、「先の獣が持っていたすべての権力」(黙13:12)を振るい、信教の自由の原則を放棄し、「地とそこに住む人々に……先の獣を拝ませ」(同13:12)るのです。 米国は、教皇制の霊的かつ世俗的権威を認めることで、地上のすべての人に先の獣を礼拝するよう先導して要求するでしょう。この預言によれば、米国は獣の像─教会と国家の結合体─を造り、すべての人がこの像を拝むように要求します。

興味深いのは、この獣の勢力として最初に見なされた当時、米国はその後の軍事的、経済的大国には程遠く、現在も大国であり続けているということです。

                                           

聖書は、わたしたちの信仰と行為の唯一の基準として神さまから与えられました。十戒は憲法のようなもので、神さまの全宇宙の統治の原則です。けれどもわたしたちは、このことばを現代に適用して行かねばなりません。わたしたちの教会でも、みことばから光を求めて祈りつつ、教理をまとめてきたのです。例えばいのちを大切にするようにとの教えの具体的な禁止事項として、酒だけでなくタバコや麻薬なども禁止しているのです。聖書にはタバコについては書かれていません。当時は無かったからです。

このようにいつの時代も、聖書をその時代に適用するために、いろいろな教えが伝承として今日の教会にも伝えられているのです。火曜日の引用文に、獣の特徴として神であると主張して、地上における大きな権力を託されている宗教団体であると書かれています。これはローマ法王権を指しています。彼らは安息日を日曜日に変えて、霊魂不滅などの教義を広めたのです。悪魔の働きは、まったくちがう神さまを作ることもしていますが、このように少し異なる教えを広めてきました。そして今日のプロテスタントの多くの教会が、かつての伝承をそのまま継承して信じているのです。教会が祈りつつ聖書を現代に適用することは、必要な働きです。けれども、それを教会と言う衣を着て、悪魔が変更したことを信じ続けてはいけないのです。

わたしたちが救われるためには、だれを救い主と信じるか、これが大切なのです。アドベンチスト教会にいるから救われるのではありません。わたしたちは神さまが信じて、そのことばにできるだけ忠実に従おうとしています。そのためにアドベンチスト教会の教えていることが正しいと信じて、土曜日の安息日に礼拝しています。最後の戦いにおいて、神さまはあなたが誰を信じて礼拝するのか、それが問われるのです。