第10課 暴かれた心霊術 6月8日
暗唱聖句:すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたち生き残っている者のが、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。Ⅰテサロニケ 4:16、1
今週の聖句:マタイ 10:28、コヘレト 9:5、イザヤ 8:19、20、ヨハネ 11:11~14、21~25、黙示録 16:13、14、マタイ 24:23~27、Ⅱテサロニケ 2:9~12
今週の研究:実際、心霊術の始まりは、「決して死ぬことはない」(創3:4)と蛇がエバをだましたエデンの園にさかのぼります。それは、歴史を通じてさまざまな形を取ってきましたが、その根底には、死後も生き続けるという前提があります。
最後の争いにおいて、サタンは霊的現象によって多くの人を惑わすでしょう。
今課は、サタンの惑わしに対する私たちの唯一の安全策は、キリストとの個人的な関係と、聖書の教えにしっかり基礎を置くことであることを学びます。
日曜日:死が、実のところ、人生の新しい段階への入り口にすぎないという作り話は、魂の不死という概念に基づいています。この異教の概念は、教会が伝える信仰をより広いローマ世界に受け入れられるようにしようと、聖書の基礎から離れていったとき、早い段階で教会に浸透しました。「霊魂不滅説は、ローマが異教から借りてきて、キリスト教の中に織り込んだ偽りの教理の一つである」(『希望への光』1865ページ、『各時代の大争闘』第33章)。
主は、ご自分の民がいかなる種類の神秘主義に関わることも禁じられまし。彼らは、「口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者」(申18:11)を自分たちの中に容認してはなりませんでした。そのような人々は石で打ち殺されることになっていました(レビ20:27)。この刑罰は非常に厳しく思えますが、イスラエルを偽りの神々の礼拝から守るために設けられたのです。
死者は死んだらすぐに天国へ行くという信仰は、非聖書的なものですが、日曜日を遵守することと同様、非常に長い間存在し、しっかり根づいているため、人々がそれを手放すのは非常に困難です。
火曜日:パウロの次の言葉に注目してください。「死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまったわけです」(Ⅰコリ15:16~18)。もし死者が、死んですぐに天国の至福の中にいるとしたら、これらの聖句はどう理解すればよいのでしょうか。実際、死者がすでに天国にいるとしたら、パウロはどういう意味で、彼らが「滅んでしまった」と書いたのでしょうか。
そうではなく、パウロが言いたいのは、キリストの復活が私たちの復活の基礎であり、復活がなければ、「あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあ(り)」、死者は土の中にとどまって滅びるということです。
木曜日:時の終わりに、サタンは最後の惑わしを実行します。「まもなく、超自然的な恐ろしい光景が、奇跡を働く悪鬼たちの力のしるしとして天に現れるであろう。悪霊たちは地の王たちのところと全世界とに出て行って、彼らを欺瞞の中に閉じ込め、天の統治に対するサタンの最後の闘争に加わるように駆り立てる。これらの手先によって、為政者も国民も一様に欺かれる。自分はキリストであると称する者たちが現れ、世の贖い主のものである称号と礼拝とを要求する。彼らは不思議ないやしの奇跡を行い、聖書の証とは相反する啓示を天から受けたと公言する。
欺瞞の一大ドラマの最後を飾る一幕として、サタンはキリストを装うであろう。教会は、救い主の来臨を教会の望みの完成として期待していると長い間公言してきた。今や大欺瞞者は、キリストがおいでになったように見せかける。地上のあちらこちらで、サタンは、黙示録の中でヨハネが述べている神のみ子についての描写に似た、まばゆく輝く威厳ある者として人々の中に現れる(黙示録1:13~15参照)」(『希望への光』1903ページ、『各時代の大争闘』第39章、強調 付加)
多くのキリスト教会が、死後すぐに天国へ昇天すると教えています。今ごろ死んだ両親は天国で神さまのもとで安らかに・・・などと言うわけです。けれども死後すぐに天国へ上げられて、果たして人間は幸せでしょうか? 地上では争いが続いて、残された家族も罪の世の中で苦闘しています。その姿を天から見て何もできないとしたら、これほど悲しいことはありません。死んですぐに天国へ、これは遺された人が安心できるように、また人間が理性的に死を受け入れることができるように、サタンが作った欺瞞なのです。
このようにサタンは、一人でも多く人を神さまから引き離そうとして様々なことを仕掛けてきます。目の前で不思議なことをされる、これはそれがだれがやったのかはさておき、見た人にとっては事実なのですから。木曜日の引用文でもサタンはキリストになって現れると書かれています。キリストは、このような話しを聞いても「信じるな!」「出て行くな!」と厳しく命じています。(マタイ24:23~28参照) このようなものに決して近づかないように、キリストは命じています。エバがエデンの園で誘惑に負けた一因は、その木に近づいてしまったからなのです。キリストは天から雲に乗ってやって来られる、これ以外の来臨はありません。
サタンは神さまの力を最も信じています。(ヤコブ2:19参照)だからこそ、あらゆる方法で、わたしたちを惑わすために挑んでくるのです。今週の研究に書かれていますが「サタンの惑わしに対する私たちの唯一の安全策は、キリストとの個人的な関係と、聖書の教えにしっかり基礎を置くこと」です。神さまは聖書を通して、わたしたちに欺瞞の正体と、その対処法を教えています。その言葉を信じて実行する、それはあなたの選びなのです。