第7課 希望に突き動かされて 5月18日
暗唱聖句:その日には、人は言う。見よ、この方こそわたしたちの神。わたしたちは待ち望んでいた。 この方がわたしたちを救ってくださる。この方こそわたしたちが待ち望んでいた主。その救いを祝って喜び躍ろう。 イザヤ 25:9
今週の聖句:Ⅰテサロニケ 4:13~18、マタイ 24:27、30、31、Ⅱペトロ 1:19~21、 ダニエル 8:14、 ダニエル 9:20~27、エズラ 7:7~13
今週の研究:今週の研究では、なぜキリストの再臨が何世紀にもわたって信者の心を喜びで満たしてきたのか、また私たちがその偉大な出来事にどう備えることができるのかを考えます。
日曜日:キリストの再臨を信じることが、なぜ聖書を信じるクリスチャンにこれほどの希望と喜びをもたらしたのかは、容易に理解できます。キリストの再臨は、病気、苦しみ、死の終わりを指し示し、貧困、不正、抑圧が終わることを告げています。それは、争い、対立、戦争の終わりを予期し、平和と幸福に満ちた世界、キリストやあらゆる時代の贖われた人々と永遠に交わることのできる未来の世界が到来することを予告しています。
火曜日:神に用いられたプロテスタント改革者たちが、キリストのみにおける信仰による義認についての真理を再発見したように、神に用いられたウィリアム・ミラーは、キリストの再臨の仕方についての真理を再発見しました。ミラーは聖書を研究するうちに、想像以上に自分を愛してくださっているキリストを発見したのです。聖書とペンとノートを手に、彼は創世記から一節ずつ読み始め、聖句の意味を理解するまでは先に読み進めませんでした。また、聖句と聖句を比較し、聖書をそれ自体によって解釈しました。
水曜日:ミラーは、「聖所は清められ」(口語訳)とは、火による大地の清めのことであるという一般的な見解を受け入れ、この途方もなく重要な出来事を理解するために、聖書を熱心に研究しました。そして、ダニエル8章と9章の関連性を発見します。ダニエル8章で天使は、「この幻をその人に悟らせよ」(ダニ8:16、 口語訳)と指示されました。8章の終わりまでに、この章の幻全体の中で説明されていない唯一の部分(同8:27参照)は、2300日に関する部分だけでした。その後、天使はダニエルの所に戻り、「わたしは今あなたに、知恵と悟りを与えるためにきました」(ダニ9:22、口語訳、9:23、25~27も参照)と明言します。 これは、2300日についてダニエルに理解させるためでした。
それがわかるのは、「この御言葉を悟り、この幻を理解せよ」(ダニ9:23)とダニエルに命じたあと、天使の最初の言葉が、「お前の民と聖なる都に対して/七十週が定められている」(同9:24)だったからです。「定められている」と訳されている言葉は、文字どおりには、「切り取られた」という意味です。70 週、490年が切り取られるのです。何からでしょうか。明らかに2300日の幻からです。そして、70週の起算点は、「エルサレム復興と再建についての御言葉が出されてから」(ダニ9:25)であり、その年代さえ判明すれば、70週と2300日の預言の始まりを知ることができると、ミラーは理解しました。
金曜日:「しかし、神は、審判の警告をそのまま伝えることをお許しになって、ご自分の恵み深い御目的を果たされた。大いなる日が近づいていた。そして神は摂理のうちに、人々に彼らの心の状態を示すために、特定の時に関する試験をお与えになった。使命は、教会を試し、清めるためのものであった。彼らは、彼らの愛着がこの世にあるのか、それともキリストと天にあるのかを、悟らせられるのであった。彼らは救い主を愛すると言っていた。その愛を、今、証明しなければならなかった。彼らは、快く世俗の希望と野心を捨てて、主の再臨を歓迎したであろうか。この使命は、彼らの真の霊的状態を彼らに認めさせるためであった。それは、彼らが悔い改めて謙そんに主を求めるようになるために、恵みのうちに与えられたのであった」(『希望への光』1765ページ、『各時代の大争 闘』第19章)。
先週の学びで、二人の証人としての新旧約聖書が神さまを信じる人を導くために立てられていることを学びました。そして聖書の光を受けて宗教改革が始まりました。マルチンルターは信仰による義、ウェスレーは救われた者は清められた生活をすべきと清潔を教えました。19世紀になると、突如キリストの再臨が近いと書かれた論文などがたくさん語られるようになったのです。キリストの再臨が近いことに人々の目が開かれて行きました。
その中の一人、農夫だったウィリアムミラーが預言を研究して2300の夕と朝の預言の成就が再臨の時と解釈を発見したのです。この預言の起算点として、木曜日のガイド本文には、エルサレムの再建命令が出された紀元前457年と書かれています。くわしくはガイド本文をご覧ください。彼は、この預言から再臨の日時は1844年10月22日と考えて、人々に備えるように訴えました。残念ながら、この預言の解釈はまちがっていたのですが、このことについては来週学びます。
大切なことは、終末時代の時に関する預言は、この2300の夕と朝の預言が最後になります。これ以降、再臨の具体的な日時に関する預言はありません。そして何回も書いていますが、わたしたちはいつか人生の終わりが来ます。その後は眠りなのです。だから死んだら、その次に目を覚ます時は再臨なのです。その日その時はわからないという預言の意味には、この部分も含まれています。
けれども、いつの時代も再臨が希望であることは、まちがいありません。それだからことウィリアムミラーも、そしてわたしたちの教会のパイオニアも聖書の中から再臨の真理を探そうと求めたのでした。イエスさまのたとえ話の中で、天国は畑の中に隠さされている宝のようなものと書かれています。その中に、隠されていた宝を見つけた農夫は、持ち物を全部売り払い、その畑を購入すると書かれています。(マタイ13:44参照)再臨は、さばきの時でもあります。けれども天国へ入れてもらえる人は「あがなわれた人」なのです。(イザヤ35:10参照)それは神さまの救いが完結する時なのです。だからこそ、わたしたちができる備えは「救い主を信じて受け入れること」これしかありません。だから福音なのです。この大いなる希望に向かって、ともに進んで行きましょう。