安息日学校部

20240202安河内アキラ解説

2024年第2期「大争闘」

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第2課   中心的な問題―愛と利己心か 4月13日

 

暗唱聖句:恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け/わたしの救いの右の手であなたを支える。 イザヤ 41:10

                                           

今週の聖句:ルカ19:41~44、マタイ23:37、38、ヘブライ11:35~38、黙示録2:10、

使徒言行録2:44~47、ヨハネ13:35

                                           

今週の研究:私たちは、神の民を惑わし、滅ぼすためのサタンの二重の戦略を研究します。邪悪な者は、迫害によって成し遂げられなかったことを、妥協によって成し遂げようとします。神は、どんな時にも、ご自分の民を守ってくださいます。

                                           

月曜日:神は主権者であり、聖なる目的の最終的な達成のために地上の出来事を支配しておられます。私たち人間の選択に基づいて神が当初の計画を変更されることもありますが、この地球に対する神の究極的な計画は、必ず成就します。神の民は、キリストの大義のために苦難、迫害、投獄、そして死さえも経験することがあるでしょう。しかし、サタンの最も凶悪な攻撃がある最も困難な時代にも、神はご自分の教会を支え、守られます。

                                           

水曜日:初代教会が成長したのは、教会員が福音を宣べ伝えただけでなく、福音を生きたからです。信徒たちは、「ガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた」(マタ 4:23)キリストの働きを見習いました。イエスは人々のことを深く思いやり、大切にされましたが、新約聖書の教会もそうしたのです。この無私の愛と人間の必要を満たすことへの献身が、聖霊の力によって福音を伝えることと結びつき、教会初期の数世紀の間にこれほど大きな影響を世に与えたのでした。

                                           

金曜日:「神が不思議な摂理のうちに、義人が悪人に迫害されることを許されることは、信仰の薄い多くの者を大いに困惑させてきた問題である。神が、極悪人たちを栄えるがままにしておかれ、一方、最も善良で純潔な人々が、彼らの残酷な力によって悩まされ、苦しめられるのを見て、神に対する信頼を捨て去ろうとする者さえいる。正義にして憐れみ深く、無限の力を持った方が、どうしてこのような不正と圧迫を黙認しておられるのか、と人々は問う。しかしこれは、われわれの関知すべき問題ではない。神はその愛について十分な証拠を与えておられるのだから、われわれは神の摂理の働きが理解できないからと言って、神の慈愛を疑ってはならない」(『希望への光』1610ページ、『各時代の大争闘』第2章)

                                           

今週は悪魔の二つの働き、迫害と妥協について学びます。わたしたちの教会も戦時中に弾圧を受けました。先日、わたしの母教会で亡くなられた方は、戦時中に教会が閉鎖されていつ期間の什一を貯めておいて、戦後におささげになったとあかしされていました。神さまを信頼されていたからです。けれども日本でも世界でも多くの人がキリストを信じるがゆえに殉教されていることも事実です。なぜ、このようなことが起こるのでしょうか。わたしたちは残念ながら合理的な答えを見つけることができません。けれども神さまを信じない理由にしてはいけません。

金曜日の引用文に書かれていますが、良いことも、困難な経験も含めて、神さまの愛がわたしたちに注がれていることを信じてください。今週の暗唱聖句には、神さまが支えると約束されています。未来を見つめる時に不安になることもあります。けれども神さまは、いろいろな方法で、あなたを導いているよ!と語りかけてくださっています。今のわたしがこのような思いでおります。どんなことがあっても、神さまが導いてくださることを信じて、前に進んで行きたいと願っています。

水曜の引用文で、キリストの愛の実践が勧められています。ガイドの本文でも水曜日と木曜日の学びで、地域社会への愛の働きについて書かれています。わたしは数回書いていますが、伝道と福祉は別のものです。愛の行為は、あくまでも苦しんでいる人や困っている人に寄り添って、できる限りのことをすることなのです。けれどもわたしたちのこのような行為が、結果として愛の神さまを伝えることになります。わたしたちのまわりでも失われた人がいます。その方々を見つけて救い出すこと、これはキリストの働きでもあるのです。(ルカ19:10)