安息日学校部

20240112安河内アキラ解説

2022年第4期「永遠の命」

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第12課   終わることのない礼拝   3月23日

 

暗唱聖句:わたしは生きるかぎり、主にむかって歌い、ながらえる間はわが神をほめ歌おう。 詩篇 104:33

                                                                

今週の聖句:詩編 134 編、イザヤ 42:10~12、黙示録 14:3、詩編 15 編、詩編 101:1~3、      詩編 96 編、黙示録 14:6~12、ヨハネ 4:23、24

                                                                

今週の研究:詩編において、イスラエルは単なる国民ではなく、「大いなる集会」(詩編22: 23、26〔口語訳22:22、25〕、35:18)です。このことは、イスラエルの主要な使命が神をほめたたえ、他の国民に神を証しすることであるということを明らか にしています。なぜなら主は、全世界がご自分の民と一緒に礼拝することを望んでおられるからです。主の民とは、主を礼拝し、主とその愛に望みを置く正しい人々のことです。

                                                                

月曜日:詩編は、「新しい歌」を歌うよう、人々に呼びかけています。ここでの「新しい歌」とは何でしょうか。「新しい歌」を歌う理由は、世界に対する主の威厳と主権を新たに認識し、地球の創造主にして裁き主である主の配慮と救いに感謝するためです。敵や死からの解放、イスラエルに対する神の特別な好意などは、「新しい歌」を歌ううえでの、より個人的な動機の一部です。ほかの歌も、主の慈愛と不思議な業をたたえますが、「新しい歌」は特別な歌であり、再燃した喜びと神への新たな献身の約束を表明するものです。神の救いを新たに体験することは、主を創造主にして王であると認めるように人々を促します。「新しい歌」について述べている詩に共通する主題は、数ある中でも、神への信頼、神のすばらしい業に対する賛美、苦難からの救いなどです。

                                                                

水曜日:礼拝は、主が創造主であり、王であり、裁き主であることを心の中で認めることから始まります(詩編96:5、10、13)。従って、礼拝には、神の過去の行為 (創造)を思い起こし、神の現在の賞賛すべき業(この世を維持し、今も支配しておられること)を祝い、神の未来の行為(終末の裁きと新しい天地における新しい命)を期待することが含まれます。

詩編における裁きとは、現在、不正と苦しみに悩むこの世に、平和、正義、幸福という神の秩序を回復することを意味します。それゆえ、全地は神の裁きを待ち望んで喜びます(詩編96:10~13、98:4~9)。さらに、主が正しい裁き主であるという事実は、人々が聖さと「おののき」をもって主を礼拝するように動機づけ、礼拝を軽んじないように警告を与えます(同96:9)。礼拝には、計り知れない喜びと確信(同96:1、2、11~13)、また聖なる恐れと畏怖(同96:4、 9)が伴います。

創造主と裁き主を礼拝せよとの詩編96編の普遍的な訴えは、この世に対する神の最後の福音宣言である三天使のメッセージ(黙14:6~12)に反映されています。この詩には、創造、救い(「永遠の福音」)、礼拝、裁きといった多くの点で、終末のメッセージを包含しているようです。すべてがそこにあります。

                                                                

木曜日:いけにえだけでは十分ではありません。犠牲をささげる者の心が、悔い改め、信仰、罪に対する悲しみで満たされていなければ、これらのいけにえは何の役に立つでしょうか。悔い改めと心からの感謝が伴ってこそ、雄牛の犠牲は「正しいいけにえ」(詩編51:21〔口語訳51:19〕、同50:14も参照)として神を喜ばせることができるのです。イエスは、イザヤ書の言葉を引用して、このように表現されました。「この民は、口ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている」(マタ15:8)。詩編記者が見た問題は、イエスが公生涯の間に、一部の人々、特に指導者たちに関して直面されたのと同じ問題でした。

                                                                

今週は礼拝について、詩篇から学びます。詩篇は讃美歌集なので、当然それは礼拝のために用いられる詩であるわけです。礼拝とは何なのでしょうか。神さまに感謝をしてほめたたえ、そして神さまからの声を聴いて、わたしたちのできる応答をします。

まず礼拝をするためには、その対象である神さまをしっかりと見なければなりません。わたしは日本の神社仏閣などを訪れることがあります。日本の美術品として仏像を見ることはありますが、それを神としては拝みません。けれども信じている方は、仏像に対して感謝をし、またお願いなどをするわけです。わたしたちは礼拝をする時に、目には見えない神さまをしっかりと見据えているでしょうか?また礼拝で語られることばを、講義や講演会のように聞いていないでしょうか。神さまは聖書を通して、あなたに語りかけているのです。その中で、あなたの心に響くことがあれば、それをすぐに実行してください。

献金も大切な礼拝です。神さまを信じて信頼しているからこと什一をささげます。またさまざまな教会の働きを支えるためにささげものをします。これは神さまを愛しているからこと、そして神さまの命令に服従しているからささげます。この順番をまちがえてはいけないし、この動機が最も大切なのです。

そのようなわけで、聖書の中のいろいろな個所で書かれていますが、礼拝は犠牲をささげることではなく、その根底にある心から神さまに従うことこそが、ほんとうに礼拝なのです。その結果として献金や讃美が、神さまへささげられるのです。(ローマ12:1,2参照)