安息日学校部

20240104安河内アキラ解説

2022年第4期「永遠の命」

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第4課   主は聞き、助け出される   1月27日

 

暗唱聖句:主は助けを求める人の叫びを聞き/苦難から常に彼らを助け出される。 詩編 34:18

                                                                      

今週の聖句:詩編 139:1~18、詩編 121 編、詩編 17:8、マタイ 23:37、Ⅰコリント 10:1~4、 ヘブライ 4:15、16

                                                                      

今週の研究:私たちは、主が近くにおられることへの適切な応答が、主を信じ、主の戒めに従う生活であることを忘れてはなりません。イスラエルの歴史がしばしば明らかにしてきたように、こういう信仰と従順に欠けるものは何であれ、主に受け入れていただけないのです。

                                                                      

火曜日:詩編記者は、さまざまな悩みに遭遇しますが、その中で、あらゆる逆境の避け所になってくださる主に頼ります。信頼とは、あらゆる状況において、神が自分の人生の主であることを認める意図的な選択です。もし信頼が逆境の中で機能しないなら、それはどういう場合にも機能しないでしょう。

また、詩編記者は、人が神の内に見いだすことのできる安全─「隠れ場」「陰」(同91:1)、「避けどころ」「砦」(同91:2)、「翼」「大盾」「小盾」(同91:4)、「宿るところ」(同91:9)─について語っています。これらの比喩は、詩編記者の文化における安全な避難先をあらわしています。あの地域での耐え難い太陽の熱を考えるだけで、影や日陰の価値がわかりますし、イスラエルの歴史における戦争の時代を思い出すだけで、盾や砦が提供する安全性の価値がわかるでしょう。

                                                                      

水曜日:実際、いつの時代にも、どんな場所でも、多くの神の子らにとって、天のエルサレムへの道は危険に満ちています。詩編は彼らに、丘の向こうにおられる天地の創造主を見るように勧めています(詩編121:1)。

詩編114編の精神は、イエスが湖の嵐を静められたことや、教会には恐れるものがないと宣言されたことによって理解できます(マタ8:23~27)。主は既に世に勝っておられるからです(ヨハ16:33)。

主がご自分の民のためになさった偉大な行為のゆえに、全地は主の御前に身もだえるに違いありません(詩編114:7)。その身もだえとは、恐れることではなく、感謝し、礼拝することだと理解されるべきです(同96:9、99:1)。神が味方してくださるので、信者には何も恐れるものがありません。

                                                                      

木曜日:神の聖所が神聖であるがゆえに、詩編記者は、すべての人が罪深く、神の好意を受けるにまったく値しないことを認め、救いは神の誠実さと恵みだけに基づくと主張します(詩編143:2、9~12)。私たちの中には、神の前に功績となるものが何もありません。人々が悔い改め、神の恵みと赦しを受け入れることで、神との正しい関係に立つときにのみ、彼らは神の救いの保証を嘆願することができます。聖所での奉仕は、イエスによってもたらされる救いをあらわしていました。

                                                                      

今週は助けてくださる神さまについて学びます。神さまが愛の神さまで、わたしたちを助けようとされても、力が無ければ助けることができません。神さまが助けることができるのは、先週も学びましたが、創造主であるからおできになるのです。わたしたちは、その無限の力がある神さまの力に頼ることができるのです。けれどもそのためにわたしたちもすることがあります。それは信頼して求めることです。わたしたちは祈りによって、その無限の力を求めることができます。神さまは、わたしたちが求めるまで何もなさらないわけではありませんが、わたしたちが求める時に、神さまは助けてくださいます。

もう一つ、神さまがわたしたちの必要に応えられる場合は、すべてを解決するのではなく、わたしたちが何をしたら良いのか、そのきっかけを教えてくださったり、必要な人に出会わせてくださったりします。その導きを受けて、前に進むかを決めるのはあなたなのです。神さまの導きを意味のあるものとするのは、あなたがその声に信頼して前進するかにかかっています。