安息日学校部

20240101安河内アキラ解説

2022年第4期「永遠の命」

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第1課    詩編の読み方   1月6日

 

暗唱聖句:イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。

ルカ 24:44~46

                                                                     

今週の聖句:歴代誌上 16:7、ネヘミヤ 12:8、詩編 25:1~5、詩編 33:1~3、 ローマ 8:26、27、   詩編 82:8、詩編 121:7

                                                                     

今週の研究:詩編は、古代イスラエルのさまざまな記者によってヘブライ語の詩で書かれているため、独特の世界を反映していますが、そのメッセージは普遍的です。 詩編を神の言葉として受け止め、その詩的特徴や歴史的、神学的、礼典的背景に細心の注意を払うことが、詩編のメッセージを理解するための基本となります。そのメッセージは、数千年の時を超えて現代の私たちに届くものだからです。

                                                                     

はじめに:聖書のほとんどの書巻が私たちに向かって語るのに対し、詩編は私たちのために、私たちと共に語ります。その事実にこそ、詩編の独特な役割があるのです。詩編は、祝福、希望、再生の源であり、自分を省み、神の偉大さについて考えるための指針であり、人が深い淵の底から叫ぶときに救いを与え、神への新たな献身を促します。それゆえ、多くの人が自分の感情や体験と詩編が共鳴するのを感じ、自分の祈りとしてそれを取り入れることは、驚くに当たりません。

                                                                     

月曜日:詩編のほとんどのタイトルに名前が登場するダビデ王は、イスラエルの礼拝の礼典を体系化することに積極的でした。彼は、「イスラエルの良き歌びと」 (サム下23:1、口語訳)と呼ばれており、新約聖書は、さまざまな詩の記者がダビデであることを裏づけています(マタ22:43~45、使徒2:25~29、34、35、4:25、ロマ4:6~8)。レビ人でもあった神殿の音楽家たちによって、多くの詩が作曲されました。例えば、アサフによる詩編50編と73~83編、コラの子による詩編42編、44~49編、84~85編、87〜88編、エズラ人ヘマンによる詩編88編、エズラ人エタンによる詩編89編などがあります。さらに、ソロモン(詩 編72編、127編)やモーセ(同90編)もいくつかの詩を残しています。

                                                                     

水曜日:詩編は、霊感によるイスラエルの祈りと賛美であるため、そこには神の声と神の民の声が混在しています。詩編は、神との生き生きとした交わりという原動力を前提としているのです。

詩編記者は、「わたしの王」「わたしの神」(詩編5:3〔口語訳5:2〕、84:4〔口 語訳84:3〕)と個人的に神に呼びかけます。彼らはしばしば、「耳を傾け……て ください」(同5:2〔口語訳5:1〕)、「わたしの祈りを聞……(い)てください」(同 39:13〔口語訳39:12〕)、「御覧ください」(同25:18)、「答えてください」(同 102:3〔口語訳102:2〕)、「わたしを救ってください」(同6:5〔口語訳6:4〕)などと神に願っています。これらは明らかに神に祈っている者の表現です。

祈りや賛美としての詩編の美しさと魅力は、詩編が信者の敬虔な祈りや賛美の形をした神の言葉であるというところにあります。それゆえ、ローマ8:26、 27に書かれているように、詩編は神の子らに親密な時間を与えてくれるのです。「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです」

                                                                     

金曜日:詩編の多くは、ダビデ王と初期王国時代(紀元前10世紀)に関係していますが、詩の収集は、その後数世紀(南北王国時代、捕囚時代、捕囚後時代)にわたって続けられました。エズラの指導のもと、ヘブライ人書記官たちが新しい神殿の礼拝を確立するために、既存の小さな詩集のいくつかを1冊にまとめたと考えられます。

書記官たちが詩編をまとめたという事実は、神の霊感の価値を奪うものではありません。詩編記者と同様に、書記官たちは神の献身的な奉仕者であり、彼らの仕事は神によって導かれていました(エズ7:6、10)。神の性質と人間の性質の双方を詩編が持っていることは、受肉された主イエスの中で神性と人性が結合していたことと似ています。「しかし、神から与えられた真理が人間のことばに表現されている聖書には、神的なものと人間的なものとの結合がみられる。このような結合は、神の子であると同時に人の子であったキリストの性質の中にもあった。このように、『言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った』 ということは、キリストご自身についてと同様に、聖書についても言えるのである」(『希望への光』1591ページ、『各時代の大争闘』序)

                                                                     

今期は詩編について学びます。はじめにから引用しましたが、詩編は詩篇記者の魂の叫びが書かれているものです。だからこそ読んでいるわたしたちも共感することができます。

今期の学びは、主題別に毎週学ぶようになっていますね。それぞれの詩編の中心にある内容ごとにまとめて学ぶことになります。あなたの好きな詩編があったら、よく似た内容の今まで気づかなかった詩編に出会えるかもしれません。

また詩編の背景などについても学びます。よく知っている詩編について、より深く多角的に学ぶことができるかもしれません。

金曜日の学びの引用文はとても大切です。詩編は詩集ですから、だれかが編纂作業をしています。また聖書全体を見ても、たとえば申命記などはモーセの説教集ですが、あとからだれかが説教をまとめて最後に彼の死について書き加えて完成させたのでしょう。またイザヤやエレミヤなどの長編の預言書も、彼らの言葉をまとめたものです。

そして聖書は、編集だけでなく、全世界へ広がるためには写本や翻訳も必要不可欠でした。かつて日本語の聖書の翻訳に携わった方に話しを聞いたことがありましたが「祈りつつ現代の日本語で神さまのことばを伝えるために最新の注意を払って作業を行っている」と話されていました。聖書がわたしの手元に届くまでの様々な働きを否定せず、これらすべての働きに神さまの霊の導きがあること忘れてはなりませんね。