安息日学校部

2023047安河内アキラ解説

2022年第4期「永遠の命」

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第7課   隣人への宣教   11月18日

 

暗唱聖句:彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』 とあります。」ルカ 10:27

今週の聖句ルカ 10:25~37、Ⅱテモテ 3:16、ヤコブ 2:17~22、マタイ 22:37~40、 ガラテヤ 5:14、ミカ 6:6~8

                                                                  

今週の研究:神を愛していると 言うことは誰にでもできますが、それを実行するには意識的な努力が必要です。 神を愛することは良いことであり、大切なことですが、神は、私たちが他者を愛することも望んでおられます。なぜなら、他者に対する私たちの愛は、神に対する私たちの愛を、はっきりと現実的な形で反映するものだからです。

今週は、この教えが私たちの生活の中でいかに適用されうるかを学びます。

                                                                  

月曜日:時として私たちは、答えを求めているのに、それを見つけるための努力をしないことがあります。イエスは、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」(ルカ10:26)と言われました。イエスは、学ぶことの非常に重要な側面を指摘されました。ほかの人の話を聞くだけでなく、私たちは自 分自身で聖書(神の言葉)を読む必要があります。答えはすでにそこにあり、 聖霊は私たちの心に働きかけて、私たちが何をすべきかを教えてくださいます。

神は、私たちに御言葉を与えてくださいました。その中には、どのように生きるべきか、どのように人と接するべきか、どうすれば「永遠の命を受け継ぐ」ことができるかについて、私たちが知るべき真理がすべてあります。確かに、教師や牧師の役割もありますが、結局、私たちは重要な真理を得るために 聖書を読まなければなりません。「あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯」(詩編119:105)。この聖句は単なる詩ではなく、神聖な真理であり、神の言葉と信者にとってのその重要性を指し示しています。

                                                                  

火曜日:律法の専門家は質問をし、自らそれに答えました。「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、 隣人を自分のように愛しなさい」(ルカ10:27)。

イエスはどのように答えられたでしょうか。イエスは、「正しい答えだ」(ル カ10:28)とお答えになり、さらに、「それを実行しなさい。そうすれば命が得られる」(同)と言って、彼に行動を起こすように促されました。

多くの信者にとって、教義や信仰について正しく答えることは、それほど難しいことではありません。むしろ難しいのは、自分が正しいと思うことを行い、自分が信じていることに従うことです。救われるのに十分な知識を持ちながら、その知識に従わなかったために、多くの人が失われることになるのです。この問題は、それほど深刻です。神と隣人を愛するということは、ただ知っているだけでは十分ではありません。実行しなければならないのです!

                                                                  

木曜日:イエスは、「善いサマリア人」の物語を締めくくる際に、助けを必要としていた人にとって、3人の中で誰が本当の隣人であったか、とお尋ねになりました。 「こうして、『わたしの隣人とはだれのことですか』という質問は、永久に答えられた。キリストは、われわれの隣人とは、われわれが属している教会や信仰の隣人だけではないことをお示しになった。それは、人種、皮膚の色、あるいは階級差と何の関係もない。われわれの隣人は、われわれの助けを要している一人ひとりである。われわれの隣人は、敵から傷つけられている魂の一人ひとりである。われわれの隣人は、神の財産である人間の一人ひとりである」 (『希望への光』935ページ、『各時代の希望』第54章)

                                                                  

今週の学びは隣人に向けての宣教ですが、ここで神さまは「愛しなさい」と教えています。この教えを聞いて、実践するのはわたしの役割なのです。伝える前に愛すること、これが福音を伝えたいという想いの基でなければならないと教えているのです。

愛の実践の実例として「よきサマリヤ人」の話しが書かれています。わたしはこのメルマガで何度か書いているかもしれませんが、キリスト教福祉の研修会で「よきサマリヤ人」の話しは、聖書の中に書かれている、福祉の実践の最高の例だと教えていただきました。まずサマリヤ人にとって、見ず知らずの敵国人を助けたという博愛です。彼はこのまま放置してしまったら、おそらく死を迎えたことでしょう。けれどもぐずぐずしていたら、サマリヤ人も戻ってきた強盗にまた襲われてしまうかもしれないのです。このような危険を顧みずに、彼は人助けをしました。わたしたちは、ここまでで彼のすばらしい働きの話しは終わってしまっているのではないでしょうか。

けれどもこの話しはこれで終わっていません。そしてこの部分がなければ、このユダヤ人は社会復帰できませんでした。それはサマリヤ人が、おそらく無一文になってしまった彼のために宿屋のご主人に治療費と滞在費を負担したことでした。危険を顧みずに人助けをしたことで、十分彼は役割を果たしたと言えるでしょう。けれども彼はそれだけでなく、困っている人の必要に応えたのでした。福祉の働きは、いのちを支える働きです。だからこそ一過性のものではなく、その人の支える必要がある限り続けて行かねばなりません。介護を自宅で家族だけ行える状況にある方は決して多くありません。そして限界もあります。だから社会全体で資金を出しあって、福祉職が中心となって支えて行くのです。

愛しなさいという命令を、いろいろな事情ですぐにできない方もいらっしゃるでしょう。けれども献金することで施設の働きを支えることもできます。これは大きな力となります。みなさまの地域の社会福祉の働きを、できれば継続的に支えてください。そうすることによって、その施設や働きに関心を抱いて愛が深まって行くものです。