安息日学校部

20230413安河内アキラ解説

2022年第4期「永遠の命」

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第13課   神の宣教の終わり   12月30日

 

暗唱聖句:このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。

Ⅱペトロ 3:11、12

                                                                 

今週の聖句:黙示録 1:1~7、Ⅰペトロ 2:9、黙示録 14:6~12、ルカ 11:23、Ⅰテモテ 2:4、      黙示録 21:1~4

                                                                 

 

今週の研究:今期の最後の研究では、黙示録が、宣教的な教会になるようにと私たちを召しておられる宣教的な神に焦点を当てた宣教の書物であることを理解します。「現代の真理」を世界に宣べ伝えるという私たちの使命は、すべての人が神に従うか否かの選択をするまで存続します。

                                                                 

月曜日:黙示録14章の三天使のメッセージは、私たちアドベンチストが世界に宣べ伝えるようにと召されていることの核心です。その中心、基礎となるのは、「永遠の福音」(黙14:6)と「創造主への礼拝」という二つの主題です。この二つの主題は、聖徒の描写の中にあらわれています─「ここに、神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続ける聖なる者たちの忍耐が必要である」(同14: 12)。私たちは、ほかにどのようなことをしても、つまり、人々を助けるためのあらゆる善行をしても、私たちの特別な召しと使命を見失ってはなりません。その使命とは、失われた世界に「永遠の福音」に見いだされる希望を告げ知らせることと、いつの日か世界に起こるであろうことを警告することです。

                                                                 

火曜日:キリストの愛は、全人類に向けられたものであり、どのような種類の人々も除外されることはありません。キリストが死なれたのはあらかじめ定められたエリートのためだけと教える神学とは違い、聖書は、キリストの死は人種、民族、そのほかの要素に関係なく、すべての人のためのものであったと明確に述べています。もしあなたが人間であるなら、キリストはあなたのために死なれたのです。それがすべてです。残された唯一の問題は、キリストの死にどう応答するか、ということだけです。

                                                                 

水曜日:宣教が成功するとは、どういうことでしょうか。私たちは、多くの人がバプテスマを受け、大きな教会堂を建て、急速に成長することだと考えるのかもしれません。あるいは、地球上のすべての部族や民族に真理を届けることであり、ラジオ、インターネット、テレビを利用することでそれを加速させることができると感じているのかもしれません。これらはすべて良いことですが、パウロがコリントの信仰の共同体に向けて書いた言葉を思い出さなければなりません。「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です」(Ⅰコリ3:6)。つまり、私たちの焦点は過程にあり、神の焦点は成長にあります。

私たちはすでに、神の宣教の目的が、地球上のあらゆる種類の人々の中にいる失われた人々を、神の宣教に携わるイエスの忠実な弟子にすることによって、救うことであることを見てきました。

                                                                 

金曜日:今期を通して、私たちは神の宣教に関連するさまざまな側面や問題を学んできました。今週は、神との回復された関係がどのようなものであるかを理解するために黙示録の鍵を探り、宣教使命の成就─地球の再創造と回復─という幻を見て、学びのクライマックスを迎えました。罪による破壊と苦しみは、地球の歴史上、最も恐ろしい日々であることは事実ですが、神は私たちの目をこの破壊の先の時代に向けさせ、地球の回復という約束によって慰めと励ましを与えてくださいます。

                                                                 

今期は宣教について学びました。神さまはこの宝物を、わたしたちの土の器に入れて人々に伝えるように託されました。(コリント第二4:7参照)世界中で宣教はなされています。けれどもわたしたちが導く以上に、子どもたちが生まれてきて、とても追いつくようには思えません。水曜日の引用文にもありますが、人間の働きとして成果を見るのではなく、神さまの働きであることを忘れてはなりません。聖霊が降る時に、わたしたちが考えられないような方法で、神さまを信じる人が与えられると信じています。

今期の学びで、まず問われたのは、わたしたちがどちらを向いて生きているか?です。「わたしが救われるために何をしたら良いのでしょうか?」とキリストに問うた金持ちの若者は、自分のために生きていました。けれどもキリストは彼に「持ち物を売り払って、貧しい人に施すように」と教えられました。まさに向きを変えることです。わたしたちも同じように、まわりの幸せのために生きるように求められています。

そして二番目に教えられたのは、神に招かれたイザヤが「ここにわたしがおります。わたしをお遣わしください」と応答しました。(イザヤ6:8)神さまはいろいろな機会を与えられます。神さまがあなたを通して導くようにと出会いを与えてくださるかもしれません。また社会の必要に応えるように招かれるかもしれません。けれどもその招きに応えるのはあなたなのです。そして神さまは、信じて前進する人を必ず導かれます。あなたは、この声に応えていますか?