安息日学校部

20230313安河内アキラ解説

2022年第4期「永遠の命」

PDFダウンロード

                               

     第12課   立ち上がれと呼びかけ   9月23日

 

暗唱聖句:なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。また、救いを兜 かぶととしてかぶり、 霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。 エフェソ 6:16、17

今週の聖句:エフェソ 6:10~20、1 ペトロ 4:1、1 ペトロ 5:8、イザヤ 59:17、 イザヤ 52:8~10、   1 テサロニケ 5:16~18

                                                               

今週の研究: この偉大な宣教師である使徒は、教会という大いなる軍隊が、神の武器庫を訪れ、神の「パノプリア」、すなわちギリシアの時代の頭からつま先までの完全なよろいを身に着けた姿を想像しています。神の武器庫には、神の軍隊のすべての兵士が、「頭からつま先まで北の鋼を身に着け」、神の名の下に平和を勝ち取るために出て行くときに十分な最上の武器が備えられています。

                                                               

日曜日:ギリシアやローマの戦いでの勝利は、軍隊の兵士たちの協力、特に激しい戦闘の最中における互いの支援に左右されました。戦闘における個人主義は、野蛮人の戦士の特徴であり、敗退を招くと考えられていました。

この一般的な軍事理解に基づいて、エフェソ6:10~20でパウロは、悪に対する教会の戦いは「共に行う」ものであると主に述べています。その思想を支持する根拠は次の通りです。(1)この箇所は、教会について書かれた手紙のクライマックスです。パウロが1人のクリスチャン兵士が暗闇の敵と戦っている描写で、手紙を結ぶことは奇妙なことです。(2)この箇所の最後に、パウロは、「すべての聖なる者たち」(エフェ 6:18)のために祈るように呼びかけ、クリスチャンの仲間意識を強調しています。(3)最も重要なことは、パウロがこの手紙の前半で悪の力について語るとき、信徒個人ではなく、教会を対象にしていることです。「こうして、いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天上の支配や権威に知らされるようになったのです」(エフェ 3:10)

                                                               

火曜日:パウロは、武装するようにとの彼の呼びかけを、敵と戦うために武器を取るようにとの呼びかけであると理解することを望んでいません。なぜなら、パウロは信徒を、「平和の福音」(エフェ 6:15)を告げ知らせる者と描いているからです。またパウロは、信徒が他者との関係において攻撃的になることも望んでいません。なぜなら、パウロは信徒に、一致、役立つ言葉、憐れみの 心を強調しているからです(特に同4:25~5:2参照)。教会は、福音の武器であるクリスチャンの徳(謙遜、忍耐、赦しなど)と、その実践(祈り、礼拝)を用いて、「平和を勝ち取る」べきです。そのような行為は、戦略的なものであり、キリストにおいてすべてのものを一つにするという神の壮大な計画(同1:9、10)を指し示しています。

                                                               

木曜日:パウロは戦いの勧めの最後に、兵士として信徒に、「すべての聖なる者たちのために」(エフェ 6:18)、また投獄されている使者である彼自身のために、極めて重要なこととして、根気よく祈るよう勧めています(同6:19、20)。この祈りへの招きは、軍隊的な比喩の延長と考えることができます。というのは、祈りを通して神(あるいは神々)に呼びかけることは、古代の戦場ではよく行われたことだったからです。

二つの祈りのリクエストのうちの最初のリクエストでパウロは、「すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続ける」(エフェ 6:18) よう求めています。教会が悪の力との戦いに成功するためには、聖霊に導かれた祈りを通して神に依り頼むことが必要です。

なぜ信徒は、これほど多く、熱心に根気強く祈るよう勧められているので しょうか。パウロの軍隊の比喩は二つの答えを示唆しています。(1)超自然的な敵との霊的な戦いの脅威が、切実で現実的であること。(2)パウロの軍隊の比喩の中に、霊的な力と勝利に関する神の約束が示されていることです(エフェ 6:10~17)。熱心で根気強い祈りは、これらの約束に注意深く耳を傾け、神の約束をほめたたえ、神の恵みの賜物を神に感謝する機会を私たちに与えます。

                                                               

今週は13課、けれども今期の学びはあと一週間あります。

先週と今週は神さまが与えてくださる最強の武具を身に着けて戦うようにとパウロは訴えています。信仰の戦いとはどのようなものでしょうか。今年はわたしたちの教会が戦時中に弾圧を受けて80年となります。このような信仰を守るためにいのちをかけるような戦いは当然信仰の戦いになります。けれどもこれが信仰の戦いだったら、今日の日本においては政府との信仰の戦いはありませんね。

悪魔の目的は、一人でも多くの人が神さまや天国を選ばないように誘惑することで、様々な方法を用いて人の目をあざむいています。またわたしたちには努力を怠るようにいろいろな誘惑をしてきます。わたしたちは、この惑わしと戦って行かねばなりません。

今週の学びで、パウロは二つのことを勧めています。まず日曜日にありますが信仰は個人と神さまの関係なのですが、悪に対する教会の戦いは「共に行う」ものと教えています。一人で戦うよりも、励まし合って戦った方が力強いです。それだけではありません。火曜日の学びに書かれていますが、この戦いは「平和の福音」を伝える戦いなのです。本文には「教会は、福音の武器であるクリスチャンの徳(謙遜、忍耐、赦しなど)と、その実践(祈り、礼拝)を用いて、「平和を勝ち取る」べきです。」と書かれています。わたしたちは神さまから与えらえている平安を、人々にも伝えて行く働きが託されているのです。強大な敵を前に自分の信仰を守る戦いをするのではなく、人々に福音を伝えるためにわたしたちは教会に集められました。

そのためにパウロは祈るにように勧めています。祈りを神さまに向けてささげられます。自らの無力をわかっているからこそ、助けを求めて祈り続けます。これはどこにいてもだれでもできることです。わたしたちの戦いは祈りなくして始まるものではなく、祈りつづけることによって平和を勝ち取る戦いを続けて行くことができるのです。