安息日学校部

20230310安河内アキラ解説

2022年第4期「永遠の命」

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   第10課   夫と妻---十字架の下に生きる   9月2日

 

暗唱聖句:夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。キリストがそうなさったのは、言葉を伴う水の洗いによって、教会を清めて聖なるものとし、しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会を御自分の前に立たせるためでした。 エフェソ 5:25~27

今週の聖句:エフェソ 5:21~33、フィリピ 2:3、4、エゼキエル 16:1~14、 2 コリント 11:1~4、    創世記 2:15~25

                                                                  

今週の研究: エフェソ5:21~33でパウロは、信徒が互いに仕え合うという思想(エフェ5: 21)に基づいて話を始めています。次に、クリスチャンの妻(同5:22~24)と夫(同5:25~32)に助言を与え、最後に両者への教えをまとめています。 今日の聖書研究者たちは、この助言を通して、よみがえられたキリストが私たちの人間関係について語りかけられているのを聞くかもしれません。エフェ ソ5:21~6:9を、この手紙の大きなテーマである一致、特に家庭において実現するためのパウロの方法として理解するなら、私たちにはなおさらそのように聞こえるでしょう。

                                                                  

日曜日:パウロはまた、クリスチャンの妻たちに、「主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい」(エフェ 5:22)と招き、妻がそれぞれの夫に仕えることを記しています(1ペト3:1、5も参照)。パウロが、妻は「主に仕えるように」と言うのは、妻は夫がキリストであるかのように仕えなければならないという意味でしょうか。 それとも、キリストこそが、妻にとって仕えるべき本当の意味での最高の対象であることを意味しているのでしょうか。

エフェソ6:7では、奴隷は「人にではなく主に仕えるように」、コロサイ3: 18では、妻は「主を信じる者にふさわしく」夫に仕えるよう求められていることから、後者の見解が適切だと思われます。妻たちは自分自身が信徒であり、最終的に夫よりもキリストを尊ぶ必要があります。

                                                                  

木曜日:妻と夫に対するパウロの勧めを適用する鍵は、彼が(エフェ 5:31に)創世記 2:24を引用していることにあります。パウロが創世記の創造の物語を想起したのは、クリスチャン信徒の必要性とその家族関係の健全性について考えていたからでした。彼は創世記2:24の中に、各時代を越えて響き渡る一つのメッセージを読み取っています。神のご計画により、結婚は「一体」の関係となることが意図されており、性的一致は感情的、霊的一致を映し出すものであり、 感情的、霊的一致は性的関係に意味をもたらします。

創世記2:24を引用する際に、パウロは堕落以前の結婚についての記述を選び、それをクリスチャンの夫と妻の関係に適用していることに注目してください。明らかに堕落後の私たちの世界では、男女の性的関係にまん延している搾取は、性的結合が女性の征服をあらわすという考えが現代社会にどれほど深く根づいているかを示しています。パウロは、性的関係は創世記で示されているように、従属の関係ではなく、一致の関係であると主張します。それは、男性の優位性を象徴し、具現化するものではなく、夫と妻が「一体」であるほどの一致を象徴し、具現化するものです。私たちは、エフェソ5:21~33と創世記 2:24に、結婚と性に関する重要で、既存の文化に対抗し、矯正的な神学を見ることができます。

                                                                  

金曜日:彼女はコロサイ3:18(とエフェ 5:22~24)の解釈と適用について、次のように述べています。「『妻は自分の意志を持ってはならないのか』という質問をよく受ける。聖書は『妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい』 と言って、夫が家族のかしらであることをはっきり述べている。もしこの命令がここで終わっていたなら、妻の地位はあまりうらやましいものではない。 ……多くの夫は『妻よ、服従しなさい』というところでとまるが、この命令の最後をみると、『それが、主にある者にふさわしいことである』とある。

神は妻が、神の栄えと神に対する畏れの念をいつも持っていることを求めておられる。ご自分の命という無限の価によって彼女を自分の子どもとして買いとられた主イエス・キリストにだけ全的服従をささげるべきである。……妻にとって夫より上位に立つ方がおられる。それは彼女のあがない主であって、夫に対する彼女の服従は、神が命じておられるように、『主にある者にふさわし』 くなされるべきである」(同639ページ)

                                                                  

今週はエフェソ5章の後半を学びます。このあたりから具体的な教えが書かれています。聖書は人間の生き方の原則が書かれています。それを自分のこととして適用しなければなりません。何が正しいか書かれていても、それを自分のこととして行わねば意味がありません。具体的な教えが書かれていると、それを直視するのが辛いこともありますが、あなたの心に響く教えは、神さまがあなたに語りかけているものなのです。

今週は夫婦の関係について教えています。夫婦は最も近い人間関係であり、生活をともに営み人生を歩んでいきます。夫婦になること、それは神さまが出会わせてくださったからという導きもありますが、それを受け入れて互いに生きることを選ぶの二人の選択なのです。

現代は男と女の役割ということを、あまり言わなくなりました。家庭の中でやらねばならないことを、できるほうがやっていく、そんな時代となったかもしれません。けれども木曜日の学びに書かれていますが、お互いが一致することが最も大切なことです。その一致は、どちらかの意思に服従していくのではなく、互いに神さまの子どもとして神さまを見上げて、それぞれの場所で今あなたができる愛の業に励むことではないでしょうか。パウロは「夫は妻を愛し、妻は夫を敬うように」教えています。そのようにしなければならないという以上に、愛される、敬われる存在にならねばならないのでしょうね。自らのことを省みるとはずかしひことばかり。今週はこのくらいにしてください。